盛岡タイムス Web News 2013年  3月 13日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉334 伊藤幸子 解体新書

 雪どけのにはかに人のゆききかな
                 高浜虚子

 長い冬ごもりから解かれて、燃えるような向学心のたぎる一書を読んだ。吉村昭著、昭和49年刊の「冬の鷹」である。明和8年(1771)3月4日早朝、千住骨ケ原刑場において刑死人の遺体の腑分けが行われた。町奉行に観臓(かんぞう)の願いを出し、許可されたのは豊前中津藩医前野良沢(りょうたく・48歳)、小浜藩医杉田玄白(38歳)、若狭藩医中川淳庵(32歳)の三名である。

  良沢は、一昨年長崎に遊学し、その折購入した高額のオランダの腑分け書「ターヘル・アナトミア」を持参。すると玄白も同じ書物を提示、驚嘆する。この時代、オランダ語修得は至難のわざで誰も読めなかった。

  本日の受刑者は50歳ばかりの老女。執刀は90歳の老人だが、驚くほど正確に皮膚も筋肉もあざやかに切り開かれてゆく。「これが腎、これは胃」と老人が説明するのを良沢たちは奇妙な横文字の書物と照らし合わせている。

  さらに刑場に野ざらしになっている腰骨、頭蓋骨、手足の骨格等も解剖図と見比べて、「いささかも違いませぬな」とうなずき合う。

  刑場を出た三人は黙々と隅田川辺を歩いた。玄白が興奮さめやらぬ息を吐き「この解剖書をオランダ通詞の手を借りずに、われらの力で解読してみようではござらぬか」と提案。二人とも即賛同、明るい声が弾けた。

  良沢は満足だった。独学でオランダ語を学び「ロングは肺のこと、心臓はハルト、胃はマーグ、ミルトは脾臓」と、一日十語ずつ読み、書き暗記し、玄白と淳庵もそれに習った。

  「人間の一生には、生命を賭しても悔いぬ対象が眼前にあらわれることがある。その対象にぶつかる者は稀(まれ)であり、幸運というべきである。玄白も淳庵もその稀な幸運に遭遇したことを意識して至難な仕事に一身を捧げようとしている」との章が胸にひびく。

  翻訳は困難をきわめたが、2年後「解体新書」がついに完成。日本最初の西洋医学書だ。

  江戸時代後期、天災も政変も、言論出版の統制もあった。しかし、熱くひたすら蘭学研究にうちこむ良沢と、翻訳、出版、弟子育成に、また政界医学界との接渉に奔走する玄白の人間像が対照的。解剖書の絵は秋田藩の小田野直武がひきうけ、今に残る名著となった。

  玄白の作ったオランダ医学の天真楼塾は有名で、一関藩の大槻玄沢は塾の支柱となった。良沢は80歳、玄白は85歳まで、己れの信じて悔いなき対象のために生命を燃やし続けた。
    (八幡平市、歌人)


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