盛岡タイムス Web News 2013年  3月 20日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉325 伊藤幸子 春分の日

 永すぎる春分の日の昼も
  夜も
   江國滋

 「病床不変世間は彼岸の入りにして」「再手術を告げられてゐて彼岸寒」の句も並ぶ平成9年2月より8月までの、江國滋さんの闘病句集「癌め」より。昭和9年東京生まれ。慶応大卒、新潮社に入り「週刊新潮」編集。41年から文筆専業となり、滋酔郎の名で句作。俳句紀行文、随筆評論著書多数。

  「告知」と題する平成9年2月6日「豆撒いてより三日後にわれは癌」「残寒やこの俺がこの俺が癌」一読、ことばを失う。「この俺がこの俺が」の叫びがこたえる。詞書にて「矢吹外科病院にて、早朝、小松崎修先生の内視鏡検査。その場で食道癌と宣告される。先生の第一声『高見順です』」と。「寒き春たつた五分で癌患者」の入院、闘病が始まった。

  「あたたかきかな採尿の紙コップ」「花粉症?俺の病気に較べれば」「毛布に鼻うづめ『癌め』とののしる夜」「ない煙草はさむ仕種や春の夜」酒も煙草も人生の欠かせぬ友だった。

  手術は渡辺先生の説明によれば「腹を縦に、首の下を横に、背中を斜めに三ヶ所を切る」とのこと。「三枚におろされてゐるさむさかな」「水飲める日はまだ先のこと菜種梅雨」。

  水を飲む訓練開始、術後36日ぶり。「春の水すんなり喉を越しにけり」「二ヶ月のすべてが四月馬鹿ならば」朝の日課、回廊を散歩して「癌と癌目礼して過ぐ試歩の春」「俺以外みんな仕合せ啄木忌」「はるかぜのやうに瀬戸内寂聴尼」水晶の数珠で傷跡をさすって下さった。

  のちに、鷹羽狩行さんの弔辞に、寂聴さんとの句会のことが描かれる。某日、狩行、江國両氏は京都寂庵の帰りの新幹線で両吟句会。狩行さんが「姫はじめなき寂庵の」と詠みあげ、下句に迷っていると江國さん、見事に「乱れ籠」とつけて「姫はじめなき寂庵の乱れ籠」と決まったとご披露。この句は滋酔郎、狩行の合作にしておこう、いつか寂庵にこの句碑を建てようと話された由。何の憂いもなく、未来の予定を語りあった日々がなつかしい。

  滋酔郎日録は夏を迎え「夏痩せて四度のオペにたじろがず」「激痛の波に夕凪なかりしか」「夏旺(さか)んわが癌モルヒネ段階に」と予断を許さない容態になった。癌の痛みは容赦なく、モルヒネ段階も本人が知っているのがつらい。

  「あすをだれが予見できるか原爆忌」死を直前にした8月5日の句。そして8日、立秋翌日「おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒」を辞世とする。「敗北宣言」の前書きがある。8月10日、力尽き62年の生を閉じられた。  
(八幡平市、歌人)



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