盛岡タイムス Web News 2013年  3月 21日 (木)

       

■  〈上海NY台湾ひと筆書き〉9 沢村澄子 再びグラウンド・ゼロへ

     
  2012年11月20日のグラウンド・ゼロ  
 
2012年11月20日のグラウンド・ゼロ
 

 NYを初めて訪ねたのは2009年の9月だった。

  3カ月の休みをとり、ドミトリーに滞在できたのは1カ月ほどだったが、さりとて特別な目的もなく、同室の女の子から「自由の女神くらい見に行ったらどうですか」と勧められて「そうね」と港の列に並び、間違った船に乗って別の島に行った。その岸から、はるか遠く米粒みたいに小さく見える自由の女神を、身を乗り出して携帯で写真に撮ったっけ。

  それでも、願いはあった。グラウンド・ゼロをこの目で見たい。飛行機がビルに突っ込んで、ビルだけではない、多くの人命や家庭やさまざまな秩序が壊れたその映像を見ながら、この破壊、と同時に起こる新しい秩序、再生を、この目で見ないわけにはいかないと思った。

  9・11事件から8年後の現場にはまだビルが建っておらず、厚いシートで覆われた工事の様子はつまびらかではなかったが、そこからはみ出して天高く腕を伸ばしたクレーンの先には星条旗が掲げられていた。あちこちに犠牲者の顔写真と花束が置かれ、傷跡生々しく、痛んだ空気が充満していた。

  それから3年。グラウンド・ゼロはどうなったのか。

  あいまいな記憶を頼りに地下鉄の改札を歩き出したときから息が詰まるようだったが、かすかに見覚えのある交差点を曲がった途端、その姿が目前に現れた。

  「終わったんだ!」その瞬間そう思った。この「終わった」を説明するのは難しいが、3年ぶりのグラウンド・ゼロに直面してわたしはそう直感した。ビルが建っただけではない。猛烈な勢いでつくられてゆく新しい秩序の波は、元の事件のことなどふるい捨てて進むかのようで、かつての痛んだ気配は去り、動的なエネルギーにあふれていた。

  この「終わった」は「忘れた」と同じなんだろうか。道々そんなことを考えながらアパートへ戻った。わたしは、「何が」「終わった」と感じたのだろうか。

  その夜はベッドに長く寝転んで、天井の模様を眺めながら海辺の町を思った。三陸の、わたしたちの海辺の町のことだ。飛行機やテロにやられたわけではないけれど、その傷の大きさといったら…。どうしよう。

  何を忘れ、何を覚え、何を捨てて、新しく何を手にして、わたしたちは自分たちの生きる世界を、どんな世界につくり直していこうとしているのだろう。
(盛岡市、書家・沢村澄子) 


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