盛岡タイムス Web News 2013年  3月 27日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉326 伊藤幸子 さくらにあそぶ

 亡きわれの記憶のために妻を率(ゐ)てさくらにあそぶさくら寂しと
                                上田三四二

 昭和60年刊の第五歌集「照徑」より。上田さんといえば「ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも」がつとに有名だが、昭和49年刊の第三歌集からほぼ10年後、医師である氏は自らの病根の深いことを知り、作品の整理を急がれる。昭和59年夏、前立腺腫瘍、手術。「明日知れぬ身といえば誇張になるが、歳月を頼むことのかたきをおぼえる私は一年を単位として生き、それをさらに半年に、三ヶ月に、今日の二十四時間にというふうに無常の自覚にわが歌のついの姿を見ようとしている」と記す。

  この集の「夜桜」の項には咲き競う桜百景が目を奪う。「ぼんぼりに灯が入りて花のくれてゆく花は宴(うたげ)のひとを隠して」「けふの日のすぐれば三百六十五日の間逢ひがたくしてさくら咲くなり」「地上には人みそらにはかぎりなきひかりをつつむ花ひしめきぬ」の奥深さ。

  寒波の冬をのりこえて、光の春に心を開き桜の開花予想にときめく心情。まさに「三百六十五日の間」逢いがたくして待った花の季節。ことし、東京上野公園では3月16日桜開花を告げ、たちまちのうちに満開と放映された。

  昭和61年病床詠に「右霊安室左リニヤック室いたはられ左にまがるいつの日までぞ」「体ふかく照射されをり細胞を灼きて身内のきよまれとこそ」と、身内に巣くう癌(がん)との闘いは厳しいものになってゆく。「右、霊安室、左、放射線治療室」まるで東海道中山道の指標のように左、生存の道をたどる患者の姿が見える。

  「顔容の潮(うしほ)引くごとくあらたまるいまはのきはをいくたび診(み)けん」作者は医者である。おびただしい「いまはのきは」を見てこられた。今、この世を離れゆくその瞬間に立ち会うことを業とされる医師の仕事を思う。

  「わが病みしのちの一年に歩みそめし児を抱(いだ)きあぐもみぢの道に」「軽快に階段をふむ子の足音ききてねむれば世はこともなし」「癒えたるがごとき錯覚にしばし居り雲生れ雲の白きかがやき」長病みの日々、軽快に階段を踏む若者がいて、歩み始めた幼児がいる日常は、ふとしも病気全快のような錯覚をよぶ。

  「われの亡きのちにて妻のやすらがん或る悲しみもそこにまじへて」愛別の悲しみはいつか歳月が癒やしてくれる。「われの亡きのち」の妻を思い、その記憶のために万朶(ばんだ)の桜を仰いだ夫と妻。昭和から平成に替わった日に世を去った歌人、66年の生涯だった。

(八幡平市、歌人)


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