盛岡タイムス Web News 2013年  4月 4日 (木)

       

■  〈上海〜NY〜台湾ひと筆書き〉11 沢村澄子 劉さん

 台湾は故宮博物院の青銅器の文字をガイドするという仕事だったのである。どこでも一人で行きたいわたしに、高校の修学旅行以来の団体旅行は不安だった。

  楽しかったのは現地ガイドの劉さんのおかげだと思う。別れてホテルに送られるときなど別のガイドさんが付くこともあったが、大概、劉さんと一緒だった。

  最初、空港で、ひと昔前の暴走族みたいな化粧の彼女が立ってるのには驚いた。

  点呼にも、「ハイ、スズキサン、コチラ。シャベラナイ!ニレツ!ヨシモトサン、コッチ」と、われわれをモノのように扱って作業を進める。

  バスでも必要最低限しかしゃべらない。他のガイドさんは、日本に行ったことがあるとか、自分のおばあさんは沖縄に住んでたとか、訳の分からないジョークとか、とにかく客の機嫌をとろうとしたが、劉さんはいつもただブスっとしてた。

  劉さんが話したことはこれだけだ。「ミナサン、コレカラ、チカテツノル。タイワンノチカテツ、タベルノダメヨ。ガムモミズモダメ。ツカマル。ゼッタイダメ。コレダケイッテモ、ニホンジン、ガムカム。ミズノム。ワタシ、ケイサツニヨバレル」。夜中に携帯を鳴らさないでくれと彼女は訴えた。でも、しばらくしてまた立ち上がり「ホントニコマッタトキハ、ヨンデイイヨ」。

  わたしはなぜか彼女が好きだった。いつも無愛想でコワイ化粧。奇妙な服装でお客をモノ扱いするガイドの劉さん。

  最終日、空港でコーヒーを飲んでいたら、仕事を終えた劉さんがやってきた。

  「お疲れさまでした」とわたしが言うと、劉さんはグニュと少しだけ口角を動かした。じかに話すのは初めてだったが、この日、彼女は朝から最高に不機嫌で、「体調悪い?」「フタバンネテナイ」「夜中に起こされた?」答えなかった。が、代わりに、我慢はきょうまでで、明日から2週間はトルコに行く。年に3、4回は海外旅行に行くのだ、と話した。

  相変わらずブスっとしたまま、ぱくぱくスナック菓子を口に放り込んでいる劉さんを見ているうちに「劉さんが好きだわ」と、わたしは言った。劉さんは飛び上がって「アナタ!キノウモ、ワタシミテ、ワラッテタヨ!キモチワルイ、ソウオモッテタヨ!」と叫んだ。

  いや、あなたを立派な人だと思うのだと言い直すと、今度は照れたのか、うつむいて、なお菓子を食べ続けた。

  日本にも毎年来ると言うので、「飲みに行こうよ」と誘ったのだけれど、「ゼタイ(絶対)、ノマナイヨ!」健康のために。毎晩のエアロビも、健康のために(奇妙な服装はこれによるものらしい)。

  けさ、龍山寺の入り口で花を売るおばあさんを見たでしょう、と彼女は話し始めた。年金の少ない台湾では若いうちに稼いでおかなければああなる。独身の自分は、老後の準備を自分でするしかないんだと力説した。

  突然なぜか、本当になぜか唐突に、わたしは彼女に「幸せか?」と聞いた。

  劉さんは再び飛び上がり、しばらく視線をさまよわせてから「ソレハ、(答えるに)ムズカシイ(質問だ)」と答えた。それから、自分だって昔は普通のOLだった。普通の奥さんになりたかったのだと話し出した。

  それから、あんなに無口で無愛想だった劉さんが一人でずっとしゃべった。笑ったりもした。歌舞伎の隈取(くまどり)のような化粧はそのままなのに、劉さんがハイジに見えた。屈託のない少女のように劉さんが笑って、次から次へと、いろんな話をした。

  けなげな劉さんには、懸命に生きる人の迫力があった。

  43歳だという彼女が、そのきついガイドの仕事を辞める日のことを思いながら、わたしは飛行機に乗った。

  死ぬ日の朝まで路上で花売りをする幸せもあるだろうか、と思いながら、座席でまぶたを閉じた。
(盛岡市、書家・沢村澄子)


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