盛岡タイムス Web News 2013年  4月6日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〉309 岡澤敏男 赤い経巻

 ■《赤い経巻》
  原子朗著『新宮沢賢治語彙辞典』は賢治と高橋勘太郎の消息を「賢治の法華入信の機縁となった島地大等編『漢和対照妙法蓮華経』を父の法友高橋勘太郎から宮沢家に贈られたもの」との簡単な説明にとどまっている。確かに高橋勘太郎は、賢治の作品・ノート・手帳類のメモに登場していないし、斉藤宗次郎のように作品になくとも花巻農学校在職中の同僚たちの回想に賢治との関係を裏付ける姿が見当たらないのです。やはり小倉氏が指摘する通り「賢治が勘太郎さんの声聞か縁覚」によって法華教信仰への悟りを得たということが二人の絆なのかもしれません。しかも賢治が『漢和対照妙法蓮華経』を入信上の大切な契機として自覚していたことは、友人へ法華教入信を勧める際に《赤い経巻》と特別な呼び方をして贈っていることでも明らかです。特に心友の保阪嘉内には、勘太郎から父に贈られた署名入りの大切な経巻を手放して「保阪さん。諸共に深心し至心に立ち上り、敬心を以て歓喜を以てかの赤い経巻を手にとり静にその方便品、寿量品を読み奉らうではありませんか」(書簡76)と呼び掛けており、また南洋ポナペ島に赴任する成瀬金太郎には「あゝ海とそらとの碧のたゞなかに燃え給ふべし赤き経巻」(書簡・48a)と激励しているのです。しかし賢治と勘太郎との縁は必ずしも《赤い経巻》ばかりでなかったらしい。

  花農教員で賢治と机を並べた白藤慈秀は賢治と同じ花巻川口町生まれで、岩手師範を卒業後に京都平安仏教専修学院で学んでから教員となった。のちに島地大等が住職だった願教寺(浄土真宗本願寺派)の院代となった人で、宮沢家を折々訪れて政次郎と真宗信仰上の親交を結んでいた。賢治が政次郎に法華教入信を迫って激論した宗教的対立については、家業に対する嫌悪感、他力信仰への疑問など賢治の側からの論評が行われている中で、白藤は政次郎の側からの証言をしており注目されます。政次郎は「賢治は自分の救済だけを目指す小乗的な考えの持ち主」で「真宗でも日蓮宗でもその人が心から帰依しているなら、けなすことはあるまい」(『啄木・賢治・光太郎』201人の証言)との見解だったというから、勘太郎が母イチに対して「みんなお釈迦さんの教えで、(真宗も法華教も)ちっとも違ったものではない」と諭したという因縁の匂いがします。

  小倉氏が政次郎から聞いた話では、賢治との法論に際して「散乱心」「貢高心」の言葉でしばしば賢治を警(いまし)めたという。「散乱心」とは「定心」(一事に集中する心)に対する用語で煩悩の一種とみられる。「貢高心」とは「慢心」と同じ意味で、いずれも仏教信仰上の戒律で仏教の経典や聖教によく出てくる言葉だという。ところが小倉氏は政次郎へ送った勘太郎の手紙の中に「貢高」の言葉を見つけて驚いたらしい。この戒律語が『雨ニモマケズ手帳』の裏表紙の裏扉に「警貢高心」「警散乱心」と並記され、さらにその余白にはまるで落書きのように「警」が黒で一字、青で二字記され、見返しには「警」「貢高」「散乱」や「警」「警」「高」「高」という文字も書き込まれているのです。このメモは、「散乱心」や「貢高心」を厳しく自己反省する賢治の姿勢であろうが、その半面には父政次郎に対する贖罪(しょくざい)のひそかな意識が隠されていたものかもしれません。



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