盛岡タイムス Web News 2013年  4月 27日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〉312 岡澤敏男 暁烏敏日記

 ■『暁烏敏日記』より

  栗原敦編注の「金沢大学暁烏文庫蔵 暁烏敏宛宮沢政次郎書簡集」には、政次郎が暁烏敏に宛てた封書37通と葉書24(浩々洞御在洞各位宛一葉を含む)が収録され『暁烏敏日記』により注記している。栗原氏はこれらの書簡を読んで鮮烈な衝撃を覚えたのでしょう。「宮沢賢治という存在が、まさに親子二代の産物に他ならぬ、という思いを禁じえない」と「はしがき」に述懐しており、大変注目される指摘です。

  宮沢一族(父と母方の兄弟姉妹)と暁烏との交流は花巻仏教会・四恩会(婦人部)が中心となって開催した大沢温泉夏期仏教講習会の明治39年の講師に暁烏を迎えたことに始まり、大正・昭和をこえて戦後まで続いたという。政次郎と暁烏との文通も明治39(1906)年5月21日に始まっている。この年の夏期仏教講習会(8月1日〜10日)は暁烏敏を講師に招き大沢温泉(「クズ屋」)で行われ、小学4年生(10歳)の賢治も父に連れられ侍童として参加しました。賢治はいつ急用があっても応じられるように、暁烏の隣の部屋のフスマのところに寝床をぴったりと敷いて休んだという。講習会の初日、8月1日の『暁烏敏日記』には「本日より先師(清沢満之)の『我が信念』を語るに就いての序成。山に白百合を折りて室にさす。夜、伊藤直次、孤舟(小田島)、宮沢政次郎、直治、賢治、嘉七来訪」とあり、2日から9日までの日記をみると『我が信念』や『歎異抄』の講義を終えた夜、子どもたちと楽しく遊戯した記事が毎日記載されているのが目につきます。「夜、政次郎長男賢治(十一才)同甥豊蔵(九才)直次同従弟嘉助と、小児となりて遊ぶ」(2日)、「夜、政、直、赤沢、きん、こと、賢、豊、嘉等老幼交りて遊戯をなす」(3日)、「午後、小眠。入湯。政、直、孤舟、大坂(一ノ関小学教師)、賢、豊、嘉助、弥吉、こと等にて鉛温泉に遊ぶ。新鉛に遊ぶ。帰路政(政次郎)とこと子との問答に興を覚え、知らざるに来る。夜、八時より転悪成善の益を語る。月色明也、皆既蝕を見る。小児等に唱歌を教ふ」(4日)、「志度が平の温泉に散歩(直治、賢、豊、平右エ門、徳四郎同道)」(5日)、「夜、老幼十五、六集りて遊戯す」(6日)、「午後、小童来たり遊ぶ、四時より心多観喜の益を語る。夜、茶話会所感を述べ、いろいろ余興をして遊ぶ。出席者童子十一、成年者女十五、六」(7日)、「本日来会者五、六十、二里を隔たる村より十四、五名来る。夕飯大衆と共にすごす。後大沢橋に散歩し小童と唱歌をうたふ。夜童子と遊ぶ」(8日)、「夕、散歩。夜、茶話会。十二時に果つ」(9日)、「六時十八分にて盛岡に向かふ。宮沢恒治、伊藤直治、工藤倉吉、鈴木、梅津善次郎、同せつ子、宮沢いち子、三田のぶ子、宮沢嘉助、賢治等見送らる」(10日)とあって、暁烏と賢治が頻繁に接触した印象が深い。また大沢温泉で暁烏をマッサージした勝見淑子の回想(森荘已池著『宮沢賢治の肖像』)によると、大沢温泉駅に大勢が暁烏を見送りに出た10日の夕方のこと、暁烏が電車を待ちながら「あ、タバコを忘れてきた」ともらすと、すぐさま賢治が「先生これでしょうか」と作業服のポケットからタバコを取り出したという。いかにも侍童の賢治ならではの挿話です。暁烏から賢治に宛てた書簡(明治39年8月18日付)が一通あるというが、あるいは暁烏の侍童としてつくした賢治への礼状だったのかもしれません。

  ■『暁烏敏日記』(三十九年)表紙裏メモ。

  政次郎とこと子(イチの妹コト)との問答と歌
「政曰く 心はいかに/こと曰く 心は円きもの光るものにして内に仏あり。(十二才)/又曰く 妾は身体弱けれど心強し。仏在せば也/政曰く 人生の目的いかが/こと曰く 母さんにたのまれて生れたり。仏、妾に行って来いと申されければ生れたり。この生に来れるは仏をほめ、世の人に平和を与えんが為也と/少女の信、嘉すべきかな(八月四日)
「御仏を親とよびつゝ御恵みの乳房をふくむ信のはらから/許しませ悶え生命の悶えの子悶えあればぞ御仏の友/御仏を親とたのみむつまじく手をとりゆかむ末のよかけて(政次郎)/いつまでもそのあどけなき笑顔にて仏の国の道しるべせよ(琴子)」



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