盛岡タイムス Web News 2013年  5月 1日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉169 三浦勲夫 終の棲家

 「これがまあつひのすみかか雪五尺」(小林一茶)。一茶はその時五十歳。漂泊の旅から故郷・信濃の国、柏原に帰ったときの句だという。今年の冬は非常に寒く、積雪は深く、吹雪が北海道では人命を奪った。北日本では息を詰めて春を待つ思いだった。

  その春の到来が遅かった。熊本で3月10日に桜開花が宣言されたが、それから約45日後の4月23日にやっと盛岡で桜開花が宣言された。桜は古来「花の中の花」で、「花」というだけで「桜」を指す場合もある。筆者などは桜を待つ間、それ以外の花を見つけるたびに喜んでいた。フクジュソウやクロッカスである。

  その花は小さく、けなげに咲いたが、鳥の声は3月の彼岸明けのころにはウグイスもヒバリも聞いて、冷たい空気の中で感動した。冬の暗さが明るい光に変わりだすと、鳥はそれに敏感に反応した。桜はさらに暖かい気温を待ち続け、黄金週間直前に花開いた。

  桜にはいろいろな思い出があるが、もっとも強い思い出は2001(平成13)年の桜である。その年の春は非常に暖かく、桜は美しく咲き誇った。その花に送られるように父は亡くなった。「願はくは花のもとにて春死なんその如月の望月のころ」(西行)。この歌を思い出しながら、父の葬儀を執り行った。

  病室で亡くなった。享年90歳。入院約4カ月後だった。今年、十三回忌を行った4月初めの日曜日は風雨の強い寒い日だった。病室で亡くなる場合でも、長く住んだ自宅は「終(つい)の棲家(すみか)」と考えたい。そこは再訪が可能で、多くの思い出が詰まっている。父を見送った母は現在、介護施設で暮らしている。両親がいたころの家、そして一人欠けて母親だけが住んだその時期の家も思い出が詰まっている。

  思い出はさかのぼる。幼いころから、いろいろな土地に住み、いろいろな家で暮らし、いろいろな学校に行き、少しずつ成長した。桜が咲いて、年度が改まり、別離と出会いをさまざまに重ねた。現在の自分を、かつての両親の同じ年格好のころに比較することがよくある。いや、子どもだった自分を育ててくれた若かった両親と現在の自分を比べることもよくある。その時々の「住家」も思い出す。

  今年もようやく盛岡に桜が咲いて、ゴールデンウイークを迎えた。自分にとっては青春時代の春ではもはやない。あの頃は人生の春と自然界の春が一致していた。自然界が四季を毎年繰り返すうちに、一度きりの人生の季節はゆっくりと進み続けた。幼年期から老年期へと、人の一生は葉や花の芽がほころびて花開く春を迎え、葉が繁茂して緑滴る夏となり、実が豊かに熟す秋の収穫期となり、収穫を済ませて種子を蓄える冬となる。

  あるいは川の流れのように渓流に発して、中流、下流、河口、そして海へと注ぐ。途中、滝となり、蛇行し、岩にぶつかり、逆巻くこともある。海に出れば、湾を越えて、海流に乗って運ばれる。しかし現実を見れば桜の時期である。これまでのさまざまな花見体験がよみがえる。家族や親類や友人たちの顔がよみがえる。うかうかすると立夏が5月5日である。しかしあせることはない。旧暦の5月5日は新暦では6月13日に当たる。新暦6月13日に昔の人たちの夏がようやく始まったのである。
(岩手大学名誉教授)


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