盛岡タイムス Web News 2013年  5月 6日 (月)

       

■  〈幸遊記〉122 照井顕 成田隆のRORANジャズ

 中国とヨーロッパの交わるあたりに、漢、魏時代のオアシスとして栄えた都市「楼蘭」から、名付けたというジャズ喫茶「RORAN」が秋田県鷹巣花園(現・北秋田市)に存在したのは1976年から2001年。

  店主だった1951年生まれの成田隆さんが店をたたみ、東京出身の彼女と一緒に暮らすため上京することになった2001年6月1日、彼は僕の店に現れ「ジョニーが盛岡に来てたこと知らなかったが、何故か呼ばれてしまった様だ」と笑った。以来これまで東京にて、医局の仕事人である彼女を支える専業主夫として家事の一切をこなしている。

  上京後丸10年、ジャズを封印し続けていた彼だが、2年前のある日ラジオから流れてきた、黒人解放のキング牧師への音楽「フリーダム」にゾクッときてからというもの、又、ジャズ喫茶通いをし、押入れに仕舞い込んでおいた、アンプやスピーカーを取り出し、音を出すための修理をコツコツ始めたという。

  最近、1年に397軒もの関東周辺のジャズ店を廻ったという、70代の平田さんという人に、お茶の水“アデロン・ダック・カフェ”で出会った彼。その人は音の聴き分けがすごく、「西早稲田の“ナッティ”の音が最高!美音じゃないが、高音域に荒さがあり“ジャズの熱気”を感じさせられた」と。そんな風に熱い会話は、久し振りだった。

  成田隆さん(62)は、秋田県立二ツ井高校2年生の時に生徒会長を経験。卒業後、札幌パークホテルでボーイ勤めをしていた時、上司にすすき野のジャズ喫茶に連れて行かれたのがきっかけでジャズに目覚め、のち神戸の飲食店で働き上京。ジャズ喫茶を見聞し地元に帰り翌年店を開いた。18〜19才の頃に上に従うのでは満足できない人間だと、根拠のない自信を持っていたという彼。形態は飲食店だが、“ジャズの文化を伝える”という熱い思いでの開店だった。その資金は、明治生まれの父が、末っ子の彼に勘当料として出してくれたのだと。

  以来懸命に働き店は繁盛、調理の勉強にも熱を入れ、グランドピアノを入れ、店を3度拡張改装し、ジャズファンクラブも結成し大活躍していた。「それらの全ては地元の先輩達やお客さんから教えてもらっていたと実感です」と、謙虚な彼。12年振りに北秋田に帰省したら、昔の友人、客達があっという間に集まってくれたのだとも。今彼は、妻・裕子オンリーに生きている。
(カフェジャズ開運橋ジョニー店主)


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