盛岡タイムス Web News 2013年  5月 9日 (木)

       

■  〈岩手からのカナダ移住物語〉53 菊池孝育 後藤忠治

 BC(ブリティッシュコロンビア)州内陸中央部にカムループスという人口8万人ほどの都市がある。日系カナダ人は800人弱で、全人口の約1%弱に過ぎない。1976年ころ、筆者が1カ月ほど滞在したことのある町である。

  15年後の1993年、オカナガン渓谷を中心に調査していたとき、懐かしく思い同市の旧友宅を訪れた。その折、たまたま手にした電話帳で、後藤姓の日系人を発見した。以前バンクーバーで、カムループスには「密航船水安丸」関係者の末裔(まつえい)が住んでいる、とのうわさを耳にしたことがあった。確か後藤姓ではなかったか。その時思い出したのである。早速電話して当方の用向きを話し、訪問取材の了解を取った。それが後藤忠治宅だったのである。

  後藤忠治一家のカナダ移住を語る前に、新田次郎著「密航船水安丸」について若干述べなければならない。

  この小説は、明治39年(1906)、石巻から密航船を仕立てて、カナダ移住を図った密航グループのリーダー及川甚三郎の伝記である。密航者は総員83人、ほとんどが宮城県人であったが、神奈川県人5人、岩手県人3人が含まれていた。この8人は、太平洋横断の知識と航海術を持つ、密航船の水夫(船員)であった可能性が高い。大船渡村の新沼兼蔵は船頭(船長)であったといわれる。及川甚三郎を含む75人の宮城県人は、ほとんど及川甚三郎と同郷の人たちであった。この中に後藤文治という筆の立つ男がおり、ほぼ50日にわたる太平洋横断の航海中、せっせと日記を書き続けた。後年、後藤文治の日記が新田次郎の目に留まり、「密航船水安丸」執筆の端緒となったとされる。

  筆者が訪ねた後藤忠治は、この後藤文治の娘婿に当たる。以下は忠治の語るカナダ移住の経緯である。

  忠治は明治44年、東磐井郡黄海村熊舘(現一関市藤沢町)で生まれた。幼少の頃から、隣村の宮城県米川村の人たちがアメリカ(カナダ)に渡って、裕福に生活していることを何度も耳にした。忠治も、大きくなったら俺もカナダに渡るんだ、と自分に言い聞かせながら育った。

  尋常小学校を終えて数年後、カナダ渡航の可能性を探るために郡役所を訪れた。そこで役所の書記に一喝された。「岩手県には未開拓の土地は山ほどある。わざわざ外国まで行って開拓する必要はない。それよりも室根山麓を耕せ!」。取り付く島もなかった。

  ほかによい手段はないものか、忠治は隣の米川村増淵まで走った。増淵には、「密航船水安丸」でカナダに渡った人たちの縁者がいる、と聞いていたからだ。忠治はそこでカナダ渡航の情報を得ようと考えたのだった。忠治がたまたま訪れた家は後藤文治の生家であった。

  生家の主人は文治の兄に当たる人であった。 彼は、カナダ渡航に夢中になっている忠治を見て、にたりとほくそ笑んだ。

  「文治の娘の婿になる気だったら、いつでもカナダに渡れるぞ!」

  忠治はそれを聞いて躍り上がって喜んだ。カナダに行けさえすれば良い。どんな鬼面の娘でも我慢できる。その時の忠治の本心であった。文治に婿捜しを頼まれていた主人にとって、忠治は、飛んで火に入る夏の虫、以上の好適な人物であった。


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