盛岡タイムス Web News 2013年  5月 13日 (月)

       

■  〈幸遊記〉123 照井顕 吉田衛の横浜ちぐさ

 1954年から55年にかけて、横浜の海軍将校(シーメンズ)クラブに、穐吉敏子の伝説的バンド「コージーカルテット」が出演していた時、穐吉さんはクラブに程近い桜木町野毛のジャズ喫茶「ちぐさ」に寄ってレコードをリクエストして聴くのが日課だった。

  マスターの故・吉田衛さんは、レコードを聴きながら採譜する穐吉さんのために、何度も同じ所をかけ直して聴かせた。この話は、すでに60年近くたった今でも、必ずステージでしゃべり続けているほど、彼女にとっては大切な店であり、勉強の場だった。

  その「ちぐさ」は、吉田衛さん(1913・大正2年横浜生まれ)が、33(昭和8)年に開店したジャズ喫茶の草分け。42年太平洋戦争に召集され、中国大陸で終戦を迎えた吉田氏が横浜に帰って来たのが46(昭和21)年。召集されたころは、一億総火の玉時代。政府は、一切の米英音楽を国内から追放しレコードも一掃させた。その時、吉田氏は天井裏にレコードを隠しておいた。帰ってきたら、「昭和20年の大空襲で街も店も焼失して、一面焼野原だった」と、スイングジャーナルの編集長だった大熊隆文氏と一緒に「ちぐさ」の2階で吉田さんから僕が聞いたのは、80(昭和55)年のことだった。

  新生・穐吉敏子のニューヨーク・ジャズ・オーケストラを僕の店ジョニーの10周年記念として陸前高田へ呼んだ1984年、吉田衛さんは「私は秋吉さんが生まれる以前から音楽を聴いているが、基本は照井さんと同じで、日本にいいミュージシャンが生まれること=Aこれが一番の念願なんだね。それだけに、あなたのやっていることには感謝しています」というメッセージをくれたのでした。

  その吉田さんが亡くなり、店を受け継いでいた妹さんも亡くなったが、店を閉める時、僕は女房や友人たちとともに、横浜野毛の「ちぐさ」の店の前に立っていた。あれは2007年の1月31日のこと。

  そして今年13年、10年ぶりに復活した穐吉敏子ジャズオーケストラを東京で聴いた翌日の5月2日、それこそ復活なった野毛の「ちぐさ」で「ちぐさ会」が、「照井顕を囲む会」を開いてくれ、昔が縁の友、知人たちが、岩手からの一行十数名を大歓待してくれたのでした。ありがとう………。
(カフェジャズ開運橋ジョニー店主)


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