盛岡タイムス Web News 2013年  5月 22日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉172 三浦勲夫 文化と社会化

 「文化」とは人が社会から学び取るもの一切であり、その学習を通して自主性を備えた個人となり、同時に社会の一員になることを「社会化」という。社会環境には人が生まれてからそこで長く過ごす環境と、まったく新しい環境があり、それは異文化と呼ばれる。自文化を学習し順応した後で、異文化に接して学習する過程には両文化の摩擦があり、自文化を押し通し、異文化を排撃しようとする場合がある。これは人間関係に亀裂を生じ、国家間に武力衝突を起こしたりもする。それを防ぎ、より円滑に「国際化」という「社会化」を促進する必要がある。

  1歳半になった孫が盛岡の祖父母宅に来て母親と10日間を過ごした。片言を話し始め、上手に歩き、意思を主張するようになった。小さい身の丈を以て周囲を測定し、なんとか行動する様子を見せた。例えば玄関前のわずかな段差は大人には問題ないが、1歳児には相当高い障害物となる。そこに彼は両手をつき、右ひざ、左ひざと上げてから立った。屋内の段差や階段にも注意して、またいだり、立ち止まったりした。こうして言葉と行動方法を学んでいた。彼なりの「社会化」である。

  やがて入園、入学、進学、就職、結婚、育児、子どもの教育、退職、老後生活と、これからの人生を歩むだろう。両親が日本人であれば、成長過程と生活過程に障害物があっても比較的、通過は容易である。しかし日本的成長過程に慣れていない外国出身の両親や子どもにとっては、同じことがきわめて困難あるいは不可能になる。

  特に彼らの子どもが日本の学校に入ると、両親は日本の学校制度や教育制度と自国のそれらを比較し、日本の通念に疑問を持つ。一例は中学校で始まる体育系クラブ活動である。欧米には通常、学校代表のチームはあっても、日本式の体育系クラブがない。特別な日に選手たちは学校で練習を行うか、町のスポーツ・クラブなどに所属してスポーツを行う。日本の中学校でクラブ活動や対外試合に多くの時間を取られ、遅い時間に帰宅して学習時間が少なくなり、眠い目をこすってベッドに入りたがる子どもを見て、日本の学校生活に疑問を持つ。

  日本人両親だと、中学校に入ると親子で過ごす時間が少なくなることを周囲から聞いて、比較的冷静に受け止める。運動に、勉強に、体力に応じて時間配分をして競い合う生活がこれから始まるだろうと思う。運動に特化する子どもたちが出るし、学科学習に特化する子どもたちが出る。このことは欧米でも同様であろう。

  「固定観念」に縛られて、出身国の教育制度が優れ、他国の教育制度が劣ると決めつけると、互いの不幸を招く。長所、短所を比較検討し、現実に生活をしている社会の文化を学び、完全否定ではなく、部分否定・部分肯定の精神で理解し、尊重し、問題を克服する態度が理想であろう。異文化を学ぶことは不便なことも多い。学習を通してより快適な生活方法を習得しなければならない。不便な環境を脱し、便利に見える環境に移ろうとしても、それが可能あるいは便利とは言えない場合もある。身の丈に応じて段差を乗り越える1歳児を見て、これは彼だけの問題ではないと思った。
(岩手大学名誉教授) 


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