盛岡タイムス Web News 2013年  5月 29日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉335 伊藤幸子 「わりなきもの」



  心をぞわりなきものとおもひぬる見るものからや恋しかるべき
                                  清原深養父

 岸恵子さんの話題作「わりなき恋」を発売日を待ちかねて買い、即日読了した。国際舞台で活躍する69歳のヒロインと一回り年下の男性との激しい恋物語。筋を追って恋の行方を見守るのもいいが、背景の大きな世界史に私はいたく心を揺さぶられた。1968年の「プラハの春」の時、主人公伊奈笙子はプラハに居たという会話。ドプチェクの革命と終焉(えん)がたまたま乗り合わせた飛行機の隣同士の座席の男女の話によって眼前に再現される。

  また、「スパイ・ゾルゲ」の臨場感。笙子は急な出張で上海に渡った。彼女は昔、「上海の蘇州河に架かる橋の上でゾルゲに会った」と言っていた日本共産党の川合貞吉に会いに行ったことを思い出す。案内の23歳の中国人女性に、ゾルゲの人物像を説明する笙子。「ゾルゲは、ロシア人とドイツ人とのハーフで、世界平和を夢見て、ドイツの新聞記者として日本に赴任。実はスターリンを信奉するロシア側のスパイだった。太平洋戦争の終わり近くに捕らえられて絞首刑になった」と言うと、その外白渡橋(ワイバイドィチャオ)の見えるレストランに案内された。

  ゾルゲは国際的なスパイだが、同時にジャーナリストでプレイボーイでもあり、さまざまな顔をもっていた。本人によく似た俳優、英国のイアン・グレン主演の映画「スパイ・ゾルゲ」を、私は平成15年6月封切りと同時に4回も観た。日中戦争から太平洋戦争へと突入してゆく昭和10年代の世相がリアルに描かれる。映画は昭和16年10月15日、新聞記者、尾崎秀実が逮捕され、3日後にゾルゲ逮捕の場面から始まる。2人はこの3年後死刑に処された。

  ダイナミックな上海ロケや、ゾルゲの子供時代や第一次世界大戦に参戦して足を負傷するベルリンでのロケもある。スパイたちの移動とともに日本中で情報収集した活動が思われる。銀座4丁目の、戦前の風景を私はCG映像によって既視感のようになつかしく感じとった。

  さて、これらの風景もドラマも、篠田正浩監督、岸恵子さんたちにとっては決して既視感ではなく、現実に歩んでこられた80余年の道であり、皮膚感覚なのだろうとあらためて思う。

  「わりなき恋」の会話がいい。「たかだか六十代を終ろうとしている女二人に乾杯!」と声をあげ『アミテイエ・アムルーズ』に共感。「日本的に言えば、わりない仲になる前のプレリュード(前奏曲)ね!」と杯を重ねる。さりげなく口ずさむ歌が古今和歌集の掲出歌である。
(八幡平市、歌人)

 


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