盛岡タイムス Web News 2013年  6月  8日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〉318 岡澤敏男  「田中氏の如き男」

 ■「田中氏の如き男」

  政次郎は暁烏敏へ「今頃田中氏の如き男に政治を託せねバならぬ様なりし事痛ましき事に存候」と告げる書簡には、当時の国政の危うさに気付く進歩的な知識人のまなざしが感じられます。その時の首相に対して「田中氏の如き男」と言い捨てたのは、田中義一なる男のスキャンダルな経歴を知る故なのでしょう。

  田中義一は長州藩(山口県)下級藩士出身の軍人で陸士、陸大を卒業し日清日露に従軍し武勲をあげた。山県有朋の信任厚く出世街道を驀進し軍政家としての手腕を振るった。帝国在郷軍人会を組織し、青年団の全国統一をはかり、大正7年8月参謀次長だったときシベリア出兵に関与した。原敬、第二次山本権兵衛内閣の陸相に就任し、山県没後陸軍長州閥の総帥として軍政界に重きをなしたが元帥の道をとらず政界入りを希望して大正14年4月退役し、高橋是清前総裁の推薦で立憲政友会の総裁に就任した。ところが大正15年3月の議会で田中政友会総裁をめぐる三百万円事件と陸軍機密費横領事件が暴露されることになった。

  3月5日の新聞は「公金四百万円に絡まる/田中大将在職中の怪聞」「突如衆議院で発かれた/長州軍閥の醜状真相」の大見出しで大々的に報道した。三百万円事件とは陸軍の機密費の公債をもちだし、これを担保に大阪の金貸しから三百万円を借り受けて政友会総裁就任の持参金にしたという疑いで告訴ざたになった。その真相はこの告訴状を受理し取調べを担当する東京地裁検事局次席検事石田基の調査結果にかかっていたし、世間の目は地検の捜査の動向に集まっていた。ところがその矢先に怪事件が発生した。10月30日、石田検事は東海道線の蒲田・大森間の線路脇に原因不明の変死体となって発見されたのだ。

  この事件を各紙はいずれもトップで報道し怪死の背景に臆測が乱れ飛んだが、吉益検事正は死体の司法解剖も行わず「事故死」として強引に処理させてしまった。しかし石田検事の「変死」を岡田の罪状を隠蔽(いんぺい)するため憲兵(陸軍)や政友会の院外団がからんだ暗殺という疑惑を知識人はじめ多くの国民に残したが、田中の機密費横領事件は不起訴となってうやむやにもみ消されてしまった。しかし松本清張はこれらの事件について『昭和史発掘』で取り上げ、かなり確実な資料を使って事件の真相に迫っているとの評価を受けている。

  こうした田中のうす汚いスキャンダルな事件を通じて政次郎は「田中氏の如き男」と言い捨てたものとみられる。そしてその男に政治を託すことによって「東西の空にハ何となく妖雲の漲る様覚へられ誠に憂慮に堪へぬ次第に候」と書簡に書いた昭和3年に、評論家の馬場恒吾(つねご)は田中政治をめぐって「絶望的にして不愉快なる時代の予感」(『政界人物風景』)を表明しているのです。このような政次郎の核心を衝く炯眼(けいがん)は、暁烏敏が時局を論難する『願慧』(暁烏敏の個人雑誌)の思想に同調するものだろうが、私信とはいえ、各委員(方面委員・学務委員・育英会理事・小作調停委員・金銭債務臨時調停委員・人事調停委員・借地借家調停委員・民生委員・家事調停委員・司法委員)に選任され社会的に信望高い政次郎がこれほどあけすけに政権を批判する一面のあったことを知り、理財家として家計を守り厳しい厳父として家族に対した政次郎像の、ほころびた穴から図太いインテリジェンスの顔が見えてくるような気がします。

  ■松本清張著『昭和史発掘』より
   「石田検事の怪死」の終末

 石田検事を殺したのは徹頭徹尾「政治」であった。この点、個人的にはなんの遺恨もうけていなかった下山国鉄総裁の場合とまったく同じである。私は、下山事件は、石田基検事の殺害方法が一つの教科書(テキスト)になっているのではないかとさえ思いたくなる。

  石田検事を謀殺した連中が満州あたりに逃げたとすれば、下山事件の手口にみられる大陸性を思えば、そこにいくつかの暗合する点がある。

  しかし、この暗殺実行班を指揮した首領と目される「最も嫌疑濃厚なる人物」は、現在もまだ東京の近くの土地にまったく変わった姿で生きている。また、この暗殺実行班に資金を出した人物も現存している。さらに院外団関係の人たちも高齢で生き残っている。



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