盛岡タイムス Web News 2013年  6月  12日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉337 伊藤幸子 「石油のために」


  火を吐ける煙突の群れ黒々とコンビナートいま逆光の中
                               谷岡亜紀
                          「角川現代短歌集成」より。

 「明治44年6月20日、鐵造は九州の門司で『国岡商店』を旗揚げした。二十五歳だった」という壮大な一代記を読んだ。出光興産の創業者・出光佐三をモデルに、2013年本屋大賞第1位、百田尚樹作「海賊とよばれた男」上下巻。主人公国岡鐵造の95年の生涯は、そのまま日本産業史として学ぶところが大きい。

  鐵造は明治18年福岡県宗像郡赤間村生まれ。この年、日本国政史上初の内閣が誕生し、伊藤博文が初代総理大臣に就任した。明治40年、鐵造は神戸高商(現神戸大学)3年生の夏休みに東北旅行に出かけ、仙台、盛岡、花巻と回った。

  このとき、花巻の地元新聞に油田に関する記事が出ていた。秋田市の八橋という所で油田が発見され、この年から開発が始められたというものだった。彼はすぐ秋田に赴き、日邦石油の技師に精製技術等を熱心に学んだ。

  明治のころは石炭が花形産業であり、ガソリンを燃料とする自動車は明治41年には日本に9台しかなかったという。それでも鐵造は、将来は石油が日本を支える重要産業になると信じていた。

  25歳で独立した国岡商店の店員は彼を含めて5人。日邦石油から機械油を卸してもらい、関門海峡で商売をする。ポンポン船と呼ばれる小型漁船に軽油と、鐵造の考案した機械油を組み合わせて伝馬船に乗って運んだ。昔から難所の海峡をこぎ回る国岡商店の商売を、他の石油特約店たちは「海賊」と呼んで恐れた。

  大正3年、鐵造は満州に渡る。東洋一のマンモス企業「満鉄」に、国岡商店の車軸油を売るための雪原での不凍油の実験光景はすさまじい。この不凍油は、秋田の道川油田、豊川油田の原油の性質を利用、細心の研究が実った。

  関東大震災、満州事変、五・一五事件、二・二六事件、そして太平洋戦争へと進む昭和史。官民企業も個人も窮乏と忍耐を強いられた暗黒の時代。

  昭和15年秋、鐵造は上海の海軍航空基地に行った。そこでゼロ戦闘機の「宮部」の名札の航空兵とすれちがう。彼は、百田尚樹のミリオンセラー「永遠の0」の主人公である。

  「石油のために戦い、石油がなくて敗れ、今、石油によって支配されてはならない」と、鐵造の思いは老いてもなお熱く、昭和28年春「アバダンへ行け」と店主の矢は放たれた。1万`も離れた極東からイランへの航路、ホルムズ海峡も突破する日章丸を、私は息づまる思いで世界大地図にたどりながら読了した。
(八幡平市、歌人)


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