盛岡タイムス Web News 2013年  6月  16日 (日)       

■ 人格形成に影響 父の手紙―胡堂に注いだ愛情 紫波町彦部の八重嶋勲さん 319通を分析し一冊に

     
   人格者として多くの人から尊敬を受けていた野村長四郎  
   人格者として多くの人から尊敬を受けていた野村長四郎
 

 紫波町彦部出身の大衆作家・野村胡堂(1882―1963)は、「銭形平次」をはじめ数多くの作品を執筆、あらえびすの名前で音楽評論家の草分けでもあった。絵をたしなみ、武鑑や浮世絵、絵画など多種多様なコレクターの面を持ち、江戸の歴史、風物、民俗への深い知識を持ち、博学なことでも有名だった。紫波町彦部の八重嶋勲さん(75)は、胡堂の作家としての素養は彦部で培われたと考え、野村胡堂記念館が所蔵する父・長四郎(1857―1910)が息子・胡堂に宛てた319通の手紙を分析した成果を「父の手紙―野村胡堂に注いだ愛情」として出版した。

  野村長四郎は彦部村の村会議員、助役を経て44歳で彦部村長となった。大変な人格者で彦部村内だけでなく、近隣の町村へも知られ尊敬されていた人物だった。明治42年(1909)に村長を辞職し、翌年には請われて乙部村長に就任、生涯を人のために尽くした。

  長四郎は読書家でもあり、土蔵の中には数多くの書籍があり、少年時代の胡堂は土蔵にこもって父の蔵書を夢中になって読み、これらの本により胡堂の人格が形成されていったという。

  手紙は、明治31年11月25日付のはがきにはじまり42年7月22日の手紙まで319通ある。胡堂の盛岡中学時代から旧制第一高等学校(現東大)まで10年9カ月間の記録。

  お金が足りなくなり、仕送りを願い出る胡堂に対し、長四郎はお金は大事に使うように、勉強するように、良い友達を持つように苦言をしながらも、お金を送金したという話が数多く見受けられる。時代は違っても親が子どもを心配する気持ちは変わらない。

  八重嶋さんは「お金を節約、勉強はしなさい、悪いやつらとは付き合うななど、口癖のように書いている。胡堂は次男だが長男が早くに亡くなったため長一(おさかず)と名付けられ、長男の扱いで育てられている」と話し、人格者として尊敬されていた長四郎だが、息子に対しては他の親たちと変わらない面を持っていたことを指摘。

  胡堂の弟・耕次郎も人格者として知られた人物。長四郎が残した借財を一代で返済。長男の耕一(長四郎の孫)は20代で村長を務めた。八重嶋さんは野村家が人材を生み出している理由を「やはり長四郎の美点を受け継いでいるのだろう。長四郎の父は柴田甚兵衛の塾で、長四郎は甚兵衛の弟子の塾で学んだ。長四郎の人格を形成したのは父親であり、柴田塾の教えの影響が大きかったと思う」と推測している。

  八重嶋さんは「まずは紫波町民に読んでもらいたい。長四郎が期待し愛情を注ぎ、どんな苦労をしたのか、その結果として胡堂が大成したことを知ってほしい。全国的には胡堂の研究書としても活用してほしい」と話している。

  父の手紙はB5判546n、税込み2940円で岩手復興書店から発行。初版500部、盛岡市内、紫波町内の主要な書店で販売している。

     
  野村胡堂の父の手紙を出版した八重嶋勲さん  
  野村胡堂の父の手紙を出版した八重嶋勲さん
 




本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします