盛岡タイムス Web News 2013年  6月  19日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉176 三浦勲夫 夏至近く


  「夏至が近いな」と感じたのは東から西に走るバスの窓から差し込む日差しを見た時だった。太陽が高い所(ほとんど真上)からバスを射ている。この道は閉伊川沿いを走る。両側は切り立った山の壁で、道幅は狭い。「緑の壁」とも言える。だから別の季節なら南側の壁に遮られて日光は強く差し込むことはない。それがきょうは走っても、走っても日光が執拗(しつよう)に差し込む。

  宮古から午後3時に発車して2時間余りで盛岡駅前に着いた。涼しい海辺から、蒸し暑い内陸に来た。あと1週間で6月21日、夏至を迎える。今年は梅雨入り前の明るい夏の日になるだろうか。それとも梅雨入り後のどんよりした夏至になるだろうか。明るい夏至、梅雨のない夏を初めて体験したのは、もう30年も前のイギリスで暮らした年だった。

  日本を出たのは1983年3月の春分のころだった。暑さ寒さも彼岸まで。うららかな成田空港から正午ごろに出発した。到着したロンドンは、どんより曇っていた。春一番の嵐が午後に吹き荒れた。風が収まっても空は薄ねずみ色で、ひっきりなしに飛行機の音が雲の上を行き来していた。世界のハブ飛行場だ。日本が恋しくもなった。

  4月は雨も降った。それが5月になると青空に変わり、人々の顔もにこやかになった。シャクナゲやバラが咲いた。週末にはバスや電車で遠出をする人が増えた。雨が降らない。自分も到着1カ月ごろから水や食物に慣れ始め、言葉にも慣れてきた。ロンドン市内のハイド・パーク、オクスフォード・ストリート、リージェント・ストリート、電車で遠出してストラトフォード、オックスフォード、あるいは遠くスコットランドのエディンバラまで観光した。5月、6月、7月、8月と晴れた日が続いた。はるか北の国、北欧と言ってもいいイギリスの夏。樺太と同じ緯度である。いつも夏至みたいに昼が長かった。

  秋分を過ぎ、黄色い落ち葉が雨にぬれて、冬に入った。すでに町や村も見ていた。人にも会った。英国にもなじんだ。冬至のころ、12月21日にロンドンを後にした。北イングランドのヨークシャー州にあるヨークという美しい城壁の町も夏に見ていた。そのヨークとは似ても似つかぬ巨大都市ニューヨークは大雪のケネディー空港が第一歩だった。以後1カ月間、アメリカ北部の主要都市を回った。そして日本に帰ったのは1月20日ごろで、暦の上では大寒だった。成田空港も首都圏も大雪で電車はストップしていた。

  あれから30年がたった。多くの人が亡くなり、多くの人が生まれた。30年前に時間を戻せば、ある人は鬼籍からよみがえる。ある人はまだ生まれてもいない。成田空港に見送りに来た家族や両親は実に若かった。おやおや、考えてもみるがいい。一族がそろって成田空港に見送りに来たなんて! 友人も来てくれた。前日には埼玉の祖父母にもあいさつした。かなりの人たちが鬼籍からよみがえる。

  あれから30回目の夏至がくる。ジェット機があっという間に自分をロンドンに運んだが、それからの30年はあっという間に自分を70代の現実に戻してしまう。しかし、あの10カ月の英米生活は自分のかなりの部分に大きな痕跡を残している。そしてこれからの30年はいかに? うーん、疑問符である。
   (岩手大学名誉教授)


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