盛岡タイムス Web News 2013年  6月 30日 (日)

       

■ 〈志和の藩境塚を探る〉3 77番塚東に八戸領78番塚 荒川聡 

     
  78番塚(八戸領)。77番塚(盛岡領)から東に約200メートルの場所で確認した(関敬一さん撮影)  
  78番塚(八戸領)。77番塚(盛岡領)から東に約200メートルの場所で確認した(関敬一さん撮影)
 

 鍵掛峠を目指して行こうということで11日の調査は行われたが、実際に2基の塚を確認したことで欲が出てきた。文書を見ると次の八戸領78番塚までは120間、メートル換算でおよそ200bの距離にあることが理由だった。紫波町赤沢の町文化財調査員の古沢友治さんは「77番塚から真東に200b進めば78塚はあるはず」と話し、志和公民館の熊谷育子指導員は「みんな疲れてはいたが、そのくらいの距離であれば行けると判断。10分ほどで到着、そんなに塚は埋もれていなかった」と話している。

  滴石史談会の関敬一副会長は「少し下りて20bほどはやぶこぎしなければならなかったが、抜けると普通の林の中だった。道はなく、ただ稜線を東の方向に進んで行った。私はいつの間にか先頭を歩き、10分歩いたかどうかくらいで盛土が見えてきた」と語っている。

  全員が集まって確認。盛土の表面の一部はふき石らしいもので覆われていた。この塚については結論はでなかったが、文書に記載されている場所にあったことから78番塚である可能性が高いと推測している。この塚は高さ60a、東西3・5b、南北3・0bの円形塚。

  高さが先に確認した76、77番塚に比べて低いのは、何らかの理由で崩れた可能性があり、乗せられているふき石は崩落を防ぐために置かれたとの推測も聞かれた。

  志和公民館の北條文雄館長は「藩境塚はすぐに確認できたことは大きな成果。これからも雫石町と紫波町の境にある八戸藩、盛岡藩の境の確認調査をしていきたい。雫石境の調査は秋から行うことになる。塚の確認が予想以上に進んでおり、ここまで来たら全ての藩境を調査したいと考えている」と今回の調査結果を振り返り、今後の調査についての意気込みを話していた。

  史談会の関副会長は「11日の調査で塚があることが分かった。町境であり、関心があるし、史談会として検証する責任があると考えている。役員会を開き、今後複数回検証することを決めた」と、史談会として本格調査に踏み出すことを明言した。

  その上で「これから先は七日休峠まで調査することになるが、鍵掛峠以上に一般の人が足を踏み入れている可能性は低いエリアであるので、塚が残されている可能性は非常に高いように思っている。これまで言い伝えられていないだけで、塚を見ている人は雫石にも多くいたはず。例えば山守をしていた人たちがそうだ。鍵掛までは歩くところだが、その先の稜線は山仕事や管理している人以外は足を踏み入れる場所ではないので、塚が見つかる可能性は高いと思う」と、多くの塚が確認されることを期待している。
  (終わり 荒川聡)


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