盛岡タイムス Web News 2013年  8月  4日 (日)

       

■ 資料で伝える核兵器のむごさ 盛岡市アイーナ 6日までヒロシマ原爆展 被災写真や遺品など80点

     
  「伸ちゃんの三輪車」(写真左側)など原爆のむごさを伝える現物資料やパネルが紹介される原爆展  
   「伸ちゃんの三輪車」(写真左側)など原爆のむごさを伝える現物資料やパネルが紹介される原爆展
 

 ヒロシマ原爆展(盛岡市、広島市など共催)は6日まで盛岡市盛岡駅西通のアイーナ5階ギャラリーで開かれている。1945(昭和20)年8月6日に広島市に原爆が投下された後の被災写真や被爆者による当時を振り返った絵、遺品や被爆のすさまじさを伝える現物資料など、約80点が紹介されている。訪れた市民に次世代へ核廃絶と平和の尊さを訴え掛けている。入場無料。

 展示解説によると、広島市は原爆さく裂時、市民のほか軍人、米軍捕虜、中国、東南アジアの留学生らを含め約35万人がいた。このうち死者は45年12月末で約14万人に上った。原爆の放出エネルギーは高性能火薬換算で1・6万d相当あったという。爆心地から3`以内の建物が同市の85%を占め、うち90%以上が焼失、破壊された。

  現物資料のうち「伸ちゃんの三輪車」(レプリカ)、銕谷(てつたに)信夫さん寄贈は、当時3歳11カ月だった銕谷伸一ちゃんが爆心地から1・5`離れた自宅前で乗って遊んでいた。被爆した夜に亡くなり、父親が伸一ちゃんの亡きがらと一緒に埋めた。

  40年後に庭から掘り出され、遺骨は墓へ、三輪車は広島平和文化センター平和記念資料館に寄贈された。

  高橋昭博さん寄贈の爪は、爆心地から1・4`離れた校庭で朝礼中に被爆した時、右手人差し指の爪の根元に爆風で飛び散ったガラス片が突き刺さった。以来、異形の爪が生え続けている。

  会場は▽原爆(広島型原爆)について▽原爆投下の経緯▽原爆による熱線、熱風、高熱火災などの被害▽放射線被害▽人体への影響▽救援・救護▽復旧・復興▽核開発・核実験▽核廃絶へ▽平和への願い―など、パネルや被爆現物資料で紹介。

  林重男さん撮影の「消えた街並み」は大型パネルで、爆心地から北に260b離れた原爆ドーム(広島県産業奨励館)周辺の様子を映し出している。45年10月5日の撮影、原爆投下から2カ月経過しても荒涼として、がれきで埋め尽くされた街が胸を打つ。

  同展は核兵器廃絶を目指す一環で96年から始まり、全国各地で開かれている。盛岡市では98年以来で、全国では初の二度目の開催。84年9月に非核平和都市宣言をした。

  会場では谷藤裕明市長、松井一實広島市長連名で「人類が犯した過ちを二度と繰り返すことなく核兵器のない真に平和な未来が築けることを期待する」などとメッセージを寄せている。

  午前10時から午後7時まで。4日に被爆体験者の証言(午前10時半から、申し込み不要)もある。

 


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