盛岡タイムス Web News 2013年  8月  5日 (月)

       

■  〈幸遊記135〉 松原みきのZAZZY NIGHT


 ポップス歌手の松原みきさんが、ジャズ曲を歌ってリリースしたアルバム「ブルー・アイズ」(1984年発売)を聴いて、ジャズ歌手とは違う歌い方に興味を持ち、彼女のステージを聴きに行ったホテルにて、終演後の彼女と直接話ができたのは1987年の夏のこと。

  話の中で僕が、高田松原海水浴場の松の木話を持ち出して「松原の松は、あなたみたいに、本当に幹が美しいのですよ!」と言ったら、「ワーッ!うれしい。今の言葉、必ず残して下さい」とものすごく喜んだ。3・11で消えた松原に残った一本松が話題にのぼるたびに、松原みきさんの顔とことばが、僕の頭の中に浮かんで来る。

  そういえば、最近彼女の名を聞かないなと思いながら、久し振りに彼女のシングル盤「ZAZZY・NIGHT」を引っ張り出して聴いてみたら、彼女の今が気になって、パソコンを見ると、2004年10月7日、子宮頸がんのために44歳で亡くなっていた。いきなりのショック!僕の頭の中で梵鐘の音がした。

  彼女は1959年11月28日、岸和田生まれ、3歳からピアノ、中学でロック。プール学院高校時代にはキーボード奏者として京都のライブハウスに出演。1977年、プロになるため上京し、文化女子大学付属杉並高校へ転校。「高校の時、東京の“バードランド”で友人に紹介されたのがジャズピアニストの世良譲さん(1932〜2004)だった。その時、対応の声が気に入ったとスカウトされ、周りの人達がプロダクションやレコード会社に紹介し、あれよあれよという間に全てのお膳立てができて仕上がったのがデビュー曲“真夜中のドア”(1979年11月発売)でした」と彼女は言った。

  そのデビュー曲は何と30万枚を超える大ヒットを記録し、様々な賞に輝いた。彼女の母もとこさんは、スマイリー小原とスカイライナーズの専属歌手だったと言った。「私も歌は言葉が全てだと思いますから、伝えようとする心が大切なので聴いてくれた人の中に“一言でも残ってくれたらなぁ”というのが人十倍も強いので歌い続けていきたい」と僕に話してくれたのだった。がんと知りレコードや楽譜を全て燃やし音楽に一切触れることをやめていたらしい。生きることに専念するために。
(カフェジャズ開運橋ジョニー店主)


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