盛岡タイムス Web News 2013年  8月  8日 (木)

       

■  〈風の筆〉12 沢村澄子 鷺と雀


 人けのない待合室のベンチでバスを待っていると、一羽のスズメが食パンをくわえている姿が目に入った。

  あの体躯で丸々1枚の食パンを持ち上げようとしている。

  少し上がったかと思えば、落とし。またやり直し。落とし。諦めたかのようにつつき始めたかと思えば、やはりまた、持ち上げようとした。

  見ていて面白くなってきて、携帯のカメラを構えたとき、「コラーッ!オレのメシ、また取ってたな〜!」と大声でバスの運転手さんがわたしの横を駆け抜けた。スズメは逃げる。パンは落ちる。「えっ。そうだったんですか…」と、わたしはカメラを下ろした。

  食パン1枚を盗み出すとは、スズメにしては随分大胆な行動である。騒ぎを聞きつけたのか、運転手さんがもう一人事務室から出てきた。

  「どうだ。大きくなったかね」「いや。大きくはならねぇな。大きくなったようには見えね。でも、子どもサ、産んだんでねえの。あそこの、子どもだべ。ちっちぇえもの。んー。やっぱり、増えたな」

  先の運転手さんがスズメの落としていったパンを細かくちぎって投げてやっている。どうやらやはり、食パンは最初からスズメに用意されていたものらしく、わたしが一杯食わされたのである。

  山間の町のバスのターミナルからJRの最寄りの駅まで30分かかった。おばあさんが1人。サラリーマンか学校の先生らしき男性が1人。それから、わたし。で、合計3人の乗客である。半年前に乗った雪のころには、わたし1人で、途中誰も乗らず、誰も降りず、駅までを走った。

  今回も山の中の道をバスは行くのだが、夏が来て、山も田んぼも畑も緑一色になった。水田には稲が揺れ、その間をサギが歩いている。

  緑色の稲の間に立つ白いサギを、わたしは何羽も見た。きゃしゃなその姿が随分と優雅で、冷房のない車内から実に涼しげに見える。

  この運転手さんは、1日に何人のお客を運ぶのだろうか。10人?20人?30人?

  1週間では何人を運ぶのだろうか。50人?100人?200人?

  一生で何人を運び、いったい何往復を駅まで走るのだろう。毎日、スズメの数を数え、夏にはサギの数を数え。

  都会の人には難しい、いや、不可能であろう、この数数えを、この運転手さんならできるのかもしれないと思った。きょうは3人。昨日は2人。明後日に10人。明日は5人。

  数えることのできる範囲での暮らしというのは優雅だ。覚えているものの中で暮らすのは安心だろう。しかし、たとえ山深い村に暮らしたとしても、年月が残す膨大な数。そこではやはり、覚えきれないものが、知らぬ間に、あの食パンのように落とされていっているのではないのか。そうなってしまっていても気付かない大切なものを、あの水田にいたサギは遠い視線の先に見ていたのではないのか。

  と、きょうは道理にも合わないこのようなことを、なぜかバスの中で思ったのである。
(盛岡市、書家)


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