盛岡タイムス Web News 2013年  8月  19日 (月)

       

■  原敬別邸 当時の面影を再現 佐藤館長が見取り図作成


     
  イメージ図を作成した佐藤均館長  
 
イメージ図を作成した佐藤均館長
 

 盛岡市本宮の原敬記念館の佐藤均館長(62)は、原敬別邸のイメージ見取り図を作成した。別邸は現・同市大通3丁目地内に建てられ、今はレンガ塀の遺構が残されている。敷地内の庭木や庭石は市民らが落札した経緯があるが、それらがどこにあったのかを伝える見取り図は同館にはなかった。佐藤館長は、前館長のメモや別邸で遊んだ経験のある来館者の思い出話などをもとに、ロマンをはせながら作り上げた。

  別邸は介寿荘(通称一山荘)の名で、1909(明治42)年、老母のために建てられ、園遊会にも使用されていた。やがて市の都市計画を見込んだ原家は、59(昭和34)年に開放。庭木や庭石の頒布会が開かれたが、庭を手入れしていた豊香園の故藤村益治郎さんの呼び掛けで、市民らが力を結集。盛岡が生んだ原敬ゆかりの財産の散逸を防いだ。

  見取り図は、小沢一昭前館長の発案でかねてから温めていた。2012年の秋から、小沢前館長が聞き取りした鉛筆書きのメモをもとに、当時学芸研究員だった佐藤現館長がさらに調査を進めた。

  「必ずしも正しいとは言えないが、見取り図があることで懐かしい思いをしていただく方もいる。私の方で作ってみるのもいいかな」と着手し、今年の年明けに最初の図が完成した。

  2月には、仕上がった見取り図を手に京都府まで赴き、原の遺族から情報を聞き取り。古文書や別邸で遊んだことのある来館者からの情報を含め、断片的だった話を図面上で総合していった。

  見取り図にある東屋と倉は同館の敷地内に移設され、石灯籠は6月に盛岡市の藤田雄平さんから同館に寄贈されたばかり。石灯籠の隣で風に揺れるシキザクラは、別邸の庭にあった木から分けられた。茶室は、市中央公民館の庭園内で白芳庵の名で親しまれ、盛岡の各地で別邸の名残がとどめられている。

  佐藤館長は「また新たな情報があったら、遠慮なくどうぞお寄せください」と情報提供を呼び掛ける。今は職員同士の参考資料にとどまっているが、「ある程度、正確だと判断できるようになったら、展示したいと思っている」と話している。


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