盛岡タイムス Web News 2013年  8月  29日 (木)

       

■  〈風の筆〉15 沢村澄子 「関係しない関係」


     
   
     

 これが先の東京での個展の出品作の最後に書いたもの。[写真]

  90度横に見て「ロボット?」と言った友人もいたが、ロボットの目に見えた二つの○(マル)は漢字の「呂」であり、その口に見えた数字の6のようなものは「以」。

  「いろは歌」ばかりを題材にした今展で、これはその冒頭の「いろ」を平仮名の字母である「以呂」に直し、さらに漢字の最も古い姿である篆書体に変換して書いたもの。

  「いろは歌」は7年近く、篆書体は学生時代からずっとで、長く書き続けるには進化なり深化なりが欲しいところだが、なにせ今回は書いた当人にしてどうしてこう書くのかよく分からないままの出品。おぼろな不安を抱いたまま、この作を壁にぶら下げた。

  しかし、時間がたつにつれ、「いいんだ」などという根拠のない自信が湧いてきて、それでもこれがどういいかを言葉では言えず、そこへ昔からずっとわたしの作品を観続けてくれている画家が「素っ気なくなったね」と言い出し、そのトタン何かが腑に落ちて、「そうか!」と。

  彼は続けて「関係性がなくなった」と感想し、わたしはいよいよ合点した(この作はわずか3筆、3画でできているが、それらおのおのが互いに関係を持たずに存在している)。

  漢字でも平仮名でもカタカナでも、いずれも文字は点画で構成されている。短い、あるいは長い線や点の組み合わせにより、文字がつづられてゆくのだ。きれいな字を書けるようにと習字に通うなら、この長短さまざまな点画を整理して置ける(引ける)ようになること。点画を置くその間(マ)や角度を整えるだけでもいい。書かれた点や線の関係性に、ある一定のリズム(秩序)が生じて無駄が消えると、文字はガゼンきれいになる。

  ところがわたしはきれいな字を書くのが目的でなく、ではなにゆえ書くか、に答えるのも難しく、ただ、「きれい」では済まない何かを書きたいのであろう。となると、そこでの関係も「きれい」に整理された以上に複雑な、時には雑駁(ざっぱく)な、いやそれどころか汚くさえ見えるようなところにまでズカズカ踏み込むことも。

  しかし、わたしは子どもの頃からぶつからない関係を好んだ。書を始めた頃も、文字と文字とが互いの領域を侵さないよう、点画おのおのが傷つけ合わないように腐心した。  

  そのうちそんな調和に息苦しさを覚え、今度はわざわざ重ねたり、ぶつけてみたり…。あぁ、それでもままならない差ほどの差はないどうしようもない関係性というもの、個々の存在の絶対、なんかにぶち当たって、今度は、関係しない、という関係を試しているのかもしれない。

  いつからだろう。わたしは文字の形を「不定形の定形」で書き、作品を「無秩序の秩序」へ投入した。その延長線上での「関係しない関係」になるのだろうが、既にわたしのどこかが、それらの試み全てに「徒労」や「無意味」を覚えているような…。

  それでも止めないのは業の深さゆえだろうか。しかもその業は、より大きな調和、より大きな調和をと求めて、止めることを知らない。

(盛岡市、書家)

   


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