盛岡タイムス Web News 2013年  11月   16日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〉341 岡澤敏男 賢治と南昌山

 ■賢治と南昌山

  藤原健次郎の家があと2`ほど矢幅駅に近かったなら、賢治は健次郎と出会うことはなかったかも知れない。健次郎は矢幅駅から盛岡中学へ汽車通学の不便を感じ寄宿舎(自彊寮)に入ることになったと思われる。それは2年生になってからのことだったのか。それによって健次郎は花巻から進学してきた1年生のふっくらした宮沢賢治と第12室同人となったのです。寄宿舎はまだランプ生活だったから同室6人の机には6個のランプが置かれており、そのランプのホヤ掃除と石油の補充、上級生の寝具上げ下ろし、使い走りの仕事が1年生賢治の役目だった。2年生も雑巾掛け、便所掃除の役目があったが、2年生の健次郎は、賢治とは寄宿舎で新人同士だったから自分の仕事のほかにランプ掃除を手伝ったのかも知れない。賢治が煤(すす)に汚れた「ホヤ」磨きにてこずっていると、健次郎は実家で教わった方法を伝授したのです。それは塩をつけた布で磨くことで、その方法で難なく「ホヤ」の汚れは拭いとられ清浄となったので賢治は狂喜したのでしょう。それが「東京」ノートの1年1学期の欄に、「寄宿舎の夕 藤原 ランプ 塩」とメモさせた逸事であり、賢治にはよほど忘れ難い「ランプ  塩」だったとみられる。次の2首にその感動が詠みこまれています。
○キシキシと引上げを押しむらさきの石油をみたす五つのラムプ
○タオルにてぬぐひ終れば台ラムプ石油ひかりてみな なまめかし

  このランプ掃除のほかに健次郎と交友を深めた逸事が「文語詩篇」ノートにメモされている。そけは「のろぎ山」(1年生の欄)というメモです。賢治が蛭石(岩手公園)や瑪瑙(鬼越)拾いに熱中するのを知った健次郎は、自宅の近くの「のろぎ石」の山(産地)を紹介したとみられる。それは南昌山やその周辺の白い石原のことだったと松本隆氏は著書(童話『銀貨鉄道の夜』の舞台は矢巾・南昌山)で指摘しています。土曜日に寄宿舎から午後1時4分盛岡発の汽車に2人は乗車し、矢幅駅には1時24分頃に着き、それから約10`の道程を西行し午後3時頃、南昌山神社に着くわけです。そこから林道を5合目まで1時間、山頂(848b)まで35分、下山にはまた50分を要したと奥田博氏は『宮沢賢治の山旅』で述べている。2人が矢幅駅で盛岡行下り最終列車16時47分に乗車するためには山頂アタックは断念せざるをえなかったに違いない。そこで2人は山麓の北の沢を右方に遡行(そこう)し両側に露出する白い石英安山岩のガレから硬軟の「のろぎ石」を拾うことに専念したとみられる。
○のろぎ山のろぎをとりに行かずやとまたもその子に さそはれにけり
○のろぎ山のろぎをとればいたゞきに黒雲を追ふその 風ぬくし

  うれしそうな賢治の情感が伝わってくる短歌です。この「のろぎ」拾いがきっかけで、賢治は土・日を不動村の健次郎宅に1泊するようになったと思われる。もっと時間をかけ南昌山周辺の石を探したり、南昌山頂へ登りたかったのでしょう。「祖父母、父母の話では、賢治は中学一年生の時、土曜日になると健次郎について来て、南昌山に登っては家に泊まって行った」と藤原誠一さん(健次郎のおい)が述懐しているのです。

  なお健次郎の享年を前回18歳と誤記しました。16歳とご訂正ください。


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