盛岡タイムス Web News 2013年  11月   22日 (金)

       

■  〈学友たちの手紙〉155 八重嶋勲 僕の苦境を察してくれ玉へ


■ 202巻紙 明治三十七年七月三十日付

宛 岩手縣紫波郡彦部村字大巻 野村長一君 進展至急  

発 [東京]礫川の寓 猪川浩 七月三十日

拝啓暑き日に相増申候、君健在なりや、僕が椎ノ梢ニ日々ノ蝉時雨を聞く事得る丈日中の苦しみ御推察被下、

さて御願申憎き事付候なれど本月は僕の無惨といふ所より生計に苦しき苦痛を与へ、二進も三進も動きの取れぬ次第に御座候、先日三河屋参り申候節も月末までと約束致し置き申候へば、定めし今明日中にハ来ることなるべく、僕独りて苦しむは何デもなけれども一家を構へたとなれば一家内皆へ影響ノ及ぶこと故、君どうか僕の苦境を察してくれ玉へ、

随分君も事情はあろうけれども三十日ノせまる今日まで黙って居るくるゝとは多少無情の訳ではあるまいか、僕はこんなこといふのはひどいと君も思ふであろうが考へて見てくれ玉へ、宮杜も母から遠慮なく言ってくれといふて来たから言ってやるとどうだ、落ちた柿がつぶれたの返事も無い、僕は懇願して諸君に泊ってもらったに違ひはないが、こう苦しむ積りではないかった、随分僕は諸君と居た間は心から嬉しかった、今になってそれが体刑になろうとは夢思ひ及はなんだ所であった、僕もこんな面白くもない事言ひ度くはないが、苦しまぎれに假りに狼とならざるを得ない、許しくれ玉へ、徒弟講学会ノ方もどうかこうか頭を出すことに成り、来月八日にはその初刊を発行するのであるから、僕が質に置くに善いものゝ数限りをやって廣告に費した、多分の影響はなくとも必ず相応の収入がある見込みで如斯次第なれば、僕は全くの窮状に陥入って居る、出る可き見込みのものが皆目的が缺けたから勢ひ多少の残金をせちからく願ふといふ事になった、

僕ノ乱暴にハ呆れ玉ふであろうが、僕が今戦狼如き目を以て荒れ狂ふ様を目撃せられたなら、悪感と軽侮の念を以って最後ノ壱銭を投じ玉ハんことを乞ひ、これも総て無理にと申さぬ、僕独りが苦しみ僕独りに止まれバ善いから、然し苦しみの中僅かの慰藉を与へ玉ふとならば、それは僕ノ懇願を容れてくるゝ事だ、人間は養うふ事も出来ずして花の恋のと此頃は馬鹿嗅い女はスベカラクシずて□喰はす奴と只一度握手すれバ足るのだ、僕は今前非を悔ゆるのだ、熱い女ノ手を取るは普通の話しだ、兎角浮き世ハ金と色だからでもあろう、

僕は今後一切女に関係はない、来春から学校生徒として金をかゝへて面目無いに通学することに意を決した、都合よければこの九月からでも善い、これは只今の唯一の志望である、左様ナラ

       七月尽日
                                  猪川[浩]
     野村兄 

 【解説】猪川浩は、盛岡中学の1級下、石川啄木と同級である。長一とは、「秋田俳句行脚」に同行した一人で、相当に親しい文学仲間である。東京の小石川に下宿し、何かの学校に学んでいるのであろうか。「徒弟講学会」という雑誌を発行しようとしているようでもあるが、この文面からはよく分からない。兎に、その資金や生活費に苦しみ、宮杜君や長一から借用しようとしているようである。7月27日付、村上郎[長三郎?]のはがきでも、一円貸して欲しい、ということがあったように、どうも長一は、友人たちへお金を融通していたように思われる。父長四郎が、命を縮めるようにして、長一の、要求するお金を工面してなんとか送金を続けた苦労が偲ばれる。


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