盛岡タイムス Web News 2013年  11月   28日 (木)

       

■  〈風の筆〉28 沢村澄子 「ニャゴ太」


     
   
     

 現在、「きんのふね」に住んでいるのは、ニャゴ太である。1年ほど前から見掛けるようになった野良猫。

  元は3匹家族だったのだが、なぜか今は1匹でいる。親兄弟なのか、どういう関係だったのか知らないが、いつも3匹で、じゃれるように暮らしていた。写真は今年8月。大きな被害を出した大雨の後で、さすがにつらかったのだろう、雨が上がると玄関先でこの視線。それから、ずっとウチの周りにいる。

  一番手前の小さいのがチビ太。本当にガリガリのやせぎす。真ん中がニャゴ太。これでは分からないが、右後ろ足の辺り、わたしの手のひらを広げたくらい大きく皮がはげている。毛皮が剥がれたピンクの肉から、血や膿(うみ)を流し、ひょこひょこと脚を引きずって歩く。一番向こうのカギしっぽのカギ太は、臆病なのか慎重なのか、決して人間に近付かない。ピューマを小さくしたような精悍(せいかん)な肢体、猫にはまず不要であろう走りで、ウチの庭をムダに駆け回る。

  チビ太が勝手口から入って、テーブルの上のきんぴらごぼうをラップごとくわえているのを見つけたのが契機になった。キッとした目でにらむので、「ラップはやめた方がいいよ」と言ったのだが、くわえたまま逃げた。味も猫には濃かったはずだ。その後も何度もごみ袋をあさりにやってきて、見つかって叱られても逃げもしない。キッとにらんで、決して向こうから視線を外すことはなかった。

  荒らされるより、腹を満たしてもらおうと思った。それで、食事を進呈するようになったのだが、3匹そろって来ていたのは、ものの数日で、すぐにチビ太がいなくなった。その後一度も姿を見ない。それから2カ月くらいは2匹が毎朝、玄関に座っていたが、ついにカギ太も来なくなった。理由は今もって分からない。

  ニャゴ太は寂しいのか、びたっと甘えてくるようになった。朝は玄関戸をガリガリかいて起こし、かまってもらえないとニャーニャー鳴く。日中は大抵、朝顔の鉢が置かれてあった棚で日なたぼっこしているが、わたしが外から帰ってくる姿を見つけるや、飛び降りて玄関先で待つ。忠犬ハチ公じゃないんだから、そんな律義なことはやめてほしいとお願いするが、やめない。痛いであろう脚を引きずりながらひょこひょこ走って、ドアのところで待つ。

  いつからか、ニャゴ太にブラシをかけてやるようになった。最初は驚いたようにキョトキョトしていたが、今はご飯にも劣らずブラシが好きである。喉も腹も脇の下も耳もしっぽの裏もゴシゴシとやる。糸目になるニャゴ太。そのうち大の字ならぬ、Hの字になって気持ちよさそうにしているが、大きな傷を地面につけて菌を入れるわけにはいかず、いつもそこに神経を割いている。この猫に節操を感じるのは、こんな自重によるのかもしれない。

  血行がよくなって毛が生えてくるといいと思ったのである。毎日ブラシをかけてやりながら、失なわれたものの再生を願った。このけがで、この先の氷点下を生き抜かなければならないのだ。傷が大き過ぎ、また、せっかくできたかさぶたをなめて剥いでしまうので、どうにもふさがりようがない。毎日繰り返し血を流し、膿で脚をただれさせ。

  そのニャゴ太が最近、膝に乗ってくるのだ。臭くてたまらないが、ニャゴ太はすぐにすやすやと眠る。仕方がないので、ニャゴ太を膝に乗せたまま、わたしも日なたぼっこ。寒くて鼻水を流したりしながら。
     (盛岡市、書家)


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