盛岡タイムス Web News 2013年  12月   4日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉200 三浦勲夫 始めと終わり


 物事には始めと終わりがある。それを「顛末(てんまつ)」とか「始末」という。「始末」は今では始めを除いて最後だけに着目し「終わり」とか「仕上げ」の意味になっている。物も保管していればどんどんスプロール現象を起こす。そこでなんとか始末をすることになる。捨てる、売る、寄付する。中でも書籍の整理は喜ばれそうな人たちに「善用」していただくため寄付することも一案である。

  十二支は一年の象徴である十二種の動物が「ネ、ウシ、トラ」と始まり、終わりの「トリ、イヌ、イ」に至り、最初の「ネ」へと循環する。十干(じっかん)は「きのえ、きのと」から「みずのえ、みずのと」までの10個の「えと」(兄と弟)である。十二支と十干が毎年順序良く組み合わされ、60年目に最初の組み合わせに戻る。これが「還暦」である。ちなみに今年は「癸巳(みずのとみ)」であり、60年前も「癸巳」であった。

  痛ましい話が最近報じられた。生後60年を経て実の3人の弟と巡り合った男性がいる。その人は東京都墨田区の産院で1953(昭和28)年3月に出生し、13分後に生まれた新生児と取り違えられた。その人の実の親はすでに死亡しており、3人の実弟と取り違えられた1人が残った。状況から血縁関係に疑問が生じ、最後はDNA鑑定で解決した。取り違えの後、この人は2人の非血縁の兄とともに、生活保護を受ける夫を亡くした女性に育てられ、中学を卒業すると働きながら定時制工業高校に通い、現在はトラックの運転手である。実の弟3人がこの人を探し出し、この人と共同で訴えを起こした。東京地裁は新生児を取り違えた産院に賠償金3千8百万円の支払いを命じた。

  その人の還暦までの長い辛酸を思うと暗然とする。しかしついに巡り合いを果たせたことを喜びたい。今は亡き実の親と育ての親、血を分けた兄弟と血縁のない兄弟。複雑な人生環境となった。失われた過去は取り戻せないが、これからの人生で幸せを少しでも取り戻していただきたい。同時に人の命を預かる病院はこの種の過誤を決して起こさぬよう厳に注意を払わなければならない。人の一生は発端から終点へ向けて、さまざまな嵐に見舞われるが、最初の船出に大嵐が吹き荒れては赤子が哀れだ。

  ここで親子関係一般を見れば、新生児取り違えのほかにも、非嫡出子などの問題がある。戸籍謄本では嫡出の子たちは長男、長女、次男、次女などと記載される。しかし夫婦としての籍を持たない男女の場合、子どもたちは実の親子関係があっても別様に記されている場合がある。子どもがない夫婦が養子を迎える場合もある。子を連れて再婚する場合もある。冷凍卵子や冷凍精子による妊娠と出産もある。しかし両性の合意で家庭を営むならば責任の所在も明らかである。他方、病院など第三者の手で親子関係が組み替えられると、責任をめぐり訴訟を引き起こす問題となる。

  親子関係にしめる親や子の責任という問題もある。生み捨て、育児放棄、虐待などは動物界にもあるが、人には人の規範がある。動物一般の現象だからといって人間にも許されるわけではない。人道、倫理、基本的人権思想などに守られて人は「揺り籠から墓場まで」の人生を尊ばれることが大前提である。
(岩手大学名誉教授)


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