盛岡タイムス Web News 2013年  12月   5日 (木)

       

■  〈風の筆〉29 沢村澄子 「のらら」


 ニャゴ太の数年前にも野良猫がすみついたことがあった。夜、仕事から帰って来ると、玄関先にボロ雑巾のようなものが落ちていて、本当にしまい忘れた雑巾が泥にまみれたのかと思い拾おうとしたら、動いた。ひん死の猫だった。

  慌てて病院に運ぶとカルテを記入するようにいわれ、だからといって急に名前も年もわからない。氏名欄にとりあえず「野良」と記入したら、病院のマダムから「野良ではかわいそうだ」と言われ、順番が来たときには「沢村のららちゃん、どうぞ〜」と呼ばれた。薬袋にも「沢村のらら様」と書かれた。

  かくして、「のらら」は縁台に段ボール部屋をあてがわれ、しばらくを一緒に暮らした。野良猫にしては長生きの老齢のオスだと獣医さんは言っていたが、なにせ名前は「のらら」である。ニャゴ太に負けず劣らず臭く、まずはご飯も食べられないほどの口内炎を何とかしなければならなかった。

  歯茎に薬を塗ってやると、ペロリとなめた。日に日に元気になり、よく食べた。そこは野良のたくましさと言おうか、本当に目を見張るような回復ぶりで、見事にその寒い冬を越えたのである。

  春先、のららの様子がちょっとおかしくなった。何となくもじもじしている。そしてある日、のららのご飯をどこかのアメリカンショートヘアが食べていて、「え?」とわたしは驚いたが、「まぁ、食いねえ」とばかりに譲っているのらら。いや〜。参ったなぁ。彼女きっと、もっといいものを家で食べてるよ、と言ってやりたかったが、のららはうつむいてムスっとしながらもうれしそうなのである。あー、あー、あーと半ばあきれながら、餌を足した数日後、今度は、争う声で表に出てみると、のららがどこかの黒猫とにらみ合っている。そして、そのちょっと離れたところに、例のアメショーがスフィンクス座りをして、しっぽだけをパタパタと振っていた。顔はあくまでも得意気で「アタシを争ってるの〜」といった具合にとり澄ましている。

  なぜだろう。その時わたしは、敗北感を感じた。いい年ののららには、すべからくに達観したようなところがあったのに、どう見ても美形の、まだ幼さの残るアメショーにホレちまったらしいのだ。そして、よれよれの老体をも省みず、ツンと張りのある、みずみずしい黒猫に挑んでいったのらら。

  その決着がどうなったのかは知らない。しかし、のららはその後しばらくして一気に体調を崩し、いつ病院に運ぼうかと思案していた矢先に、姿を消した。

  あれから3、4年はたったが、最近、ニャゴ太の食べ残しがどうもキレイさっぱりなくなるので不審に思っていたら、ある日、ぬっと肩越しにこちらを見ながら、太ったアメショーがそれを食べていたのだ。一瞬わが目を疑ったが、あの時のアメショーに違いない。顔がそうだ。ズルそうでちっともかわいくない。しかし、身体は当時の10倍には膨れたであろう。猫の体躯とは思われないほどのサイズで、顔だけがプチッと小さくその上に乗っている。

  何となく、人間と同じだわ…、と思ったのである。あのことも、このことも。そして、千年前も今も、何もこの世は変わらないのではないか…、とも思われたのである。
     (盛岡市、書家)


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