盛岡タイムス Web News 2013年  12月   11日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉201 三浦勲夫 今でしょ


 今年の「新語・流行語大賞」は「今でしょ」「じぇじぇじぇ」「倍返し」「お・も・て・な・し」と四つもあったが、そのうちの「今でしょ」について書いてみたい。「いつやるか、今でしょ」と言った東進衛星予備校の林修先生(現代文)の言葉である。予備校生、入試、猛勉強と連想が進む。課題を先延ばしせず、きょう中に取り掛かれ、という文脈である。世の中一般から大賞を獲得した理由は、「いつ買うの、今でしょ」と広告に拡大されて時流に乗ったことである。入試に合格して「桜咲く」4月に晴れて入学。この計画を成就すべく先憂後楽で頑張る受験生たちがいる。「今頑張って、喜びを呼び込め」である。若さは可能性を秘めて魅力的だが、夢を開花させるには準備の苦労が伴う。

  将来の目的に向けて今を頑張るのに対して「あたら青春を」の感じで「今でしょ。後では遅い、今を楽しめ」という態度もある。「先楽」である。「後憂」になるかどうかには頓着しない。今が良ければいいという主義である。「命短し恋せよ乙女赤き唇あせぬ間に熱き血潮の冷えぬ間に明日の月日のないものを」(ゴンドラの歌)。歌詞を書いてみて思う。これは男子に呼び掛けたものか、女子に呼び掛けたものか。自分はこれまで男子に呼び掛けたものだと思っていたが、女子に呼び掛けていると解釈することもできる。後続の歌詞を追うと、部分的に男子であるとも女子であるとも見える。本筋に戻って、いずれ快楽主義的な「今でしょ」もあるわけだ。予備校的「今でしょ」とは逆になる。

  快楽主義といえば古代ギリシャのエピキュロス(紀元前341│270年)がいる。肉体的快楽を追う主義と考えるのは誤りで、彼はそれを「苦」としている。世俗の種々の煩雑さや圧迫を脱した「精神的静寂(アタラクシア)」を追求する。それを脅かす物からの自由が善ということになる。受験勉強に明け暮れる受験生がやがて合格して重圧から解放されることもエピキュロスのいう「静寂・快楽」だろう。快楽には苦痛が伴う。苦痛を克服すれば快楽が得られる。苦痛から逃れるだけの快楽はまた苦痛に捕らわれるだろう。

  新語流行語大賞の「今でしょ」は大きく見てこうした二つの面を持つ。一つは、今頑張って将来の喜びを得よ。二つ目は、将来の見込みは不明だから今のうちに楽しめ。「カーピ・ダイエム(英語読み)」(Carpe diem)(日を摘め)というラテン語の句(ホラチウス)がある。日が当たるうちにその日を楽しめ。通常の解釈はこうである。花が咲き誇るうちに楽しめ。あとはしぼんで散ってしまうのだから、ということになる。それもそうだがしかし、拡大解釈はどうだろう。花が散る、種子を残す、また花が咲く。青春を謳歌し、努力奮闘し、壮年の実りを収穫し、老年のゆとりを確保する、そして次世代にバトンを託す。人生の各時期にもそれぞれの「花」がある。

  ワインのボトルにワインがまだ半分もあるぞと喜ぶ人もいれば、逆にもう半分しかないよと悲しむ人もいる。ワインがなくなればまた一本買うか、しばし我慢をするかなのだが。ボトルの中のワインを人の命とすれば、「今でしょ」もまた別の響きを伝える。ワインがなくなる前に、やるべきことがある。「カーピ・ダイエム」は夕日の中でも人に呼び掛ける。人生の総決算に向かう静謐(せいひつ)の時期も大事にしたい。
   (岩手大学名誉教授)


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