盛岡タイムス Web News 2013年  12月   14日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〉345 岡澤敏男 彷徨する信仰心

 ■彷徨(ほうこう)する信仰心

  藤原(健次郎)家の蔵から発見された「賢治のノート」は、中学1年の2学期から2年の1学期に至る時期に使用されたとみられるが、おのおののページの書き込み時期までの特定は難しい。従って「空」の文字やひげ題目「南無妙法」が書かれた時期は不明ながら、仏教的観念に基づくメモだったことは間違いない。「空」は万物が縁起で成り立っており永久不変の実体はないという大乗仏教の真理だから、賢治は浄土宗によって理解されていたものに違いない。特に「白骨の御文章」から「朝には紅顔ありて夕べには白骨となる身」であって永久不変の実体はないという無常・煩悩観を強烈に認識させられ「阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて念仏申すべき」だと教化されてきたと思われる。

  しかし、このノートに毛筆で大書した「空」の書体には賢治の高揚した気分がみなぎっているように見える。私見だが、おそらくは「般若波羅蜜多心経」(「般若心経」)の「空観」が念頭にあったのではないか。般若心経を読むと半分頃まで「色即是空」「空即是色」の句に象徴される「空」の観念が接続し、「空」がこの経の中心課題なることに気付く。「空」とはなにもない状態で、インド数学ではゼロ(零)を意味するという。賢治は「南無妙法」と落書きしたノートに右側に「O」・「Zeo」とメモしているが、「0」はゼロのことで「Zeo」が「Zero」の誤記だったならば、「空」と「ゼロ」の共通根を知っていた可能性があり、やはり「空」の書に般若心経との接点が想定されます。「般若」とは真実を正しく見抜く知恵で、「波羅蜜」とは悟りに到達する菩薩の実践行を意味しており、自らの力で無常・煩悩を断ち切って仏の悟りに至ろうと教えるのがこのお経です。それに対して浄土宗は、無常・煩悩を阿弥陀如来のお力にすがって一切をお任せし救いを求める他力門だから、自力門の般若心経を唱えることはないといわれます。このように、「賢治のノート」に書き込まれた「空」や「南無妙法」のひげ題目の落書きに、幼時から身に付けた真宗信仰心がほころびてゆく気配が感じます。とはいえ、法華教へ入信するまでには中学卒業後から盛岡高農への受験準備をする大正4年の春まで、信仰のぶれを感じながら約3年間の彷徨(ほうこう)があったのです。

  幼少の賢治伝説には美談が多いが、いたずら坊主の逸話も見逃せない。5年生の頃、4、5人の悪童と一緒に小舟を引っ張り出し、向う岸に渡り瓜畑に夜襲をかけたが番人に見つかり青くなって逃げ帰ったこと。教室の戸を先生が開けたとたんに上から物が落ちる仕掛けをしたのも賢治だったという。また中学2年の夏の大沢温泉で、水車に行くはずの水流を湯船に流し込んで大騒動をやらかしたり、宿泊していた気に食わぬ旧クラスの連中が浴室から出てきたとき、山の上から冷水をぶっかけたり、夜中に戸をたたいて安眠を妨害したりもした。4年の3学期には、寄宿舎の舎監排斥ストライキの騒動を起こし、賢治がその首謀者の一人といううわさも立って、賢治の操行が丙となり成績が91人中77番に転落してしまった。そのような悪行に当然のことながら厳しく叱る父に手紙を出し「心配御無用に候 小生すでに道を得候。歎異抄の第一頁を以て小生の全信仰と致し候」と宣言したのです。賢治が『歎異鈔』に準拠して阿弥陀如来に救いを求めたのは、「悪人正機」の思想だったのではなかろうか。


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