盛岡タイムス Web News 2013年  12月  26日 (木)

       

■  〈風の筆〉32 沢村澄子 「ニューヨークの娘」


 比較的穏やかな12月だと思っていたが、雪も降った。「寒いですね」「本当にね」なんてごあいさつを交わしながら、年の暮れ。

  残りわずかなこの年の個人的大事件といえば、何といっても、この盛岡タイムス紙にエッセーを連載させていただいたことだ。  

  そんな大それたことが続くもんか、と自身一番疑いながら、恐れ多くも、「上海〜NY〜台湾ひと筆書き」から通算すると計45本を書いている。かなり恥ずかしくもあるのだが、何となく、少しだけ自分を褒めてもやりたいような。

  なぜなら、文学少女には程遠い、年中ラケットを振り回している体育会系だったのである。読書がキライで作文がキライで、夏休みの読書感想文は父に代行させていた。そんな人間がほぼ毎週作文したのだから、たとえオバサン厚顔のなせる技だとしても、この歳になって、よくやった!

  実は、書物の中でも最も好きでない「随筆」だったのである。どうしても読まなければならない時にいつも思った「アナタ(筆者)が何を好きであろうと、何を思おうと、ワタシには関係ない」ということ。個人的独白にピンとこず、「なぜ書くんだろう。こんなこと」と、ひそかに思っていた。

  なのに、そんなわたしがどうしてこんな作文をしているのか。正直なところ、それがよく分からないのだ。それを考える暇なく、すぐ、次の締め切りが来ている。

  小学生の頃、唯一、湯川秀樹の随筆を面白いと思ったことがあって、博士といえばノーベル賞でしょう?理系でしょう?なのに作文するの?と、子ども心に不思議だったのである。また、それを読んで自分が面白いと思った、その「面白い」とは何なのか、ということも長く疑問として残った。

  このことを思い出して、先日、何十年ぶりに湯川博士の随筆を読んでみると、やはり、面白いのである。しかし、やはり、「なぜ面白いか」は分からなかった。

  雪の話に戻ると、約1年前に、わたしは2度目となるNYを訪ねている。

  にぎにぎしくも寒々とした街をあちこち歩いて回ったが、2週間の滞在中、雨には降られなかった。最後の日、アパートの鍵を大家さんに返して、スーツケースを転がしながら地下鉄の駅を目指していたら、雪が降り始めた。ハーレムにいたので、右も左も大柄な黒人たち。そのブラックの間を落ちる華奢(きゃしゃ)な白い雪のことを、今も覚えている。

  前日には、日本から来てNYで画廊を開いている若い娘さんに会ったのだ。利発でひたむきなその彼女のことは、この1年のうちにも何度も思い出され、特に、チラチラ降る雪を見るたびによみがえるのは、最後に彼女がわたしの背中に掛けてくれた言葉、「外は寒いのでお気を付けて」。

  あんなこと、こんなこと、が、ワケも分からず心に残る。湯川秀樹の随筆がなぜ面白いのかも分からない。わたしがなぜこれを書いているのかも分からない。そして、それら山のようにワケが分からないことだらけのまま、また、次の、新しい年だ。
  (盛岡市、書家)


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