盛岡タイムス Web News 2014年  1月  1日 (水)

       

■  〈ジジからの絵手紙〉53〈新年拡大版〉 菅森幸一 戦後の盛岡の子どもたち 「お正月エエもんだ」


     
   
     

 「欲しがりません勝つまでは」「ゼイタクは敵だ」のスローガンのもと我慢に我慢を重ねてきた生活が一転した初めての正月がやってきた。今までの暗く抑制された日々から解放され、お正月とはこんなに楽しいものなんだとジジたちが改めて感じることができたのは昭和20年の師走だった。

  もちろん、物資は欠乏していたし満足な生活は思いもよらなかったが、それでも皆で知恵を出し合って、平和だった頃の懐かしい習慣を取り戻そう頑張ったものだった。

  大みそかの朝はお歳暮配りから始まる。わが家では親戚や知人に狩猟が趣味のおジイさんが捕ってきた雉(きじ)や山鳥の肉を分けてあげるのが恒例になっていた。その配達係がジジだ。盛岡市内を巡り歩き、行く先々でお年玉をもらうのもうれしかった。


  「餅つき」は臼(うす)と杵(きね)がある近所の家でやった。苦労して手に入れた少しばかりの餅米を持ち寄り、神棚にそなえる鏡餅ぐらいはできたらしい。

  年越し蕎麦(そば)用の「蕎麦粉」を作るのも子どもたちの役目だ。黒い蕎麦の実を少しずつ石臼に入れ手回しで粉にする。母さんが作った蕎麦の板を包丁で細長く切る作業も皆でやった。ジジの切った蕎麦は割り箸みたいだと大笑いだったよ。

     
   
     


    ◇  ◇

  わが家自慢の年越し蕎麦は雉のダシ。まずかろう訳はない。このダシをとった後の骨に付いた肉をシャブル特権は子どもたちだけのもので大いにハッスルしたものさ。

  さあ、大みそかの食事だ。茶の間にある大人が8人は座れる大きな堀り炬燵(こたつ)が会場で、今年の反省や来年の抱負を語りあいながら、ごちそうを食べるんだ。現在とは比べものにならない貧弱な料理だが、初めて見る漆塗りの椀(わん)や重箱に盛られたそれは見事に輝いて見えた。中でも母さん苦心の「口取り」と呼ばれる当時としては超豪華な一品が別卓に並んでいる。これは許可が出るまで食べてはいけないルールだったからわれわれの目はそれにくぎ付けさ。

     
   
     


  ラジオでは紅白歌合戦の前身「紅白音楽試合」が古川ロッパと水の江ターキーの司会で始まった。なんでも進駐軍から「戦争を放棄した日本が合戦とは何事だ」とおしかりを受けて音楽試合になったらしい。

  この夜は一晩中起きていてもしかられず家中の遊び道具で繰り返し遊び、「口取り」の味を満喫し、さらにおバアさんが苦労して漬けた「樽柿」のふたも開けられ、まるで天国にでもいるみたいだった。

  やがて除夜の鐘が鳴り元朝参りに履いていくツマゴ(ワラ靴)を炬燵の中に入れて暖めることから新年が始まったんだよ。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします