盛岡タイムス Web News 2014年  1月  6日 (月)

       

■  〈新・三陸物語〉45 金野静一 気仙・三陸N


 綾里村快挙録。彼、長吉は考える。

  「私の周りからあらゆる物を剥奪した者、私の母を強奪した者、私の父を殺した者―それらはみな一つの同じものだった。

  私のみか、この村を不幸にしている者…それはみな一つの同じものなのだ。その者を、一切の不幸の源である彼らを、叩き伏せるときが来た。

  ならば、私が真っ先に立って闘わねばならぬ。私は監獄でも地獄でも、その闘いのためなら恐れずに飛び込むだろう│」

  漁業組合の総会の日。漁場を捕鮑組合に貸すことについて、論議が続けられていた。

  殿村賢治郎、茂平が反対意見を述べる。だが議長は、すぐ採決に入ろうとした。採決に入れば200名に対する148名の漁師側が敗れることは明らかだ。

  「俺たちは、こんな議案を採決する意志を持たない」

  殿村ら互助会員は、いっせいに退場した。あとに残った200余名が、向こう10カ年、捕鮑組合に、年2万円で貸すことに決めてしまったのである。

  しかし、新しく作られた捕鮑組合の設立には、主務省の許可が必要である。よって殿村らは、過去10年にわたる漁民の苦悩と捕鮑組合なるものの実態と内幕を申し立て、県や議会に陳情して、これを許可しないよう働きかけたのであった。だが、誰一人として取りあってくれない。―殿村賢治郎は、漁師3人と共に上京、主務省にも訴えたが、ここもまた、誰一人として相手にしてくれない。そこで思い余って「労働総同盟」を訪ね、幹部の松浦某に会って話したところ、前金で千円出せば争議をしてやろうとか、勝つ見込みがあるとか、ないとか…。それでも、民衆党の弁護士某を紹介してくれた。

  しかし、その弁護士に会っても、やはり言うことは同じ。組合の決議に違法はないから勝てそうもないという。その上、最後に法律相談料として金五百円を請求された。賢治郎は、財布から金を出しながら、かすかに自分の手の震えるのを覚えた…。

  賢治郎らが村に帰ると、漁師たちの気勢はあがったものの、間もなく主務省から山村一家の捕鮑組合設立の許可が、正式に認可されたのであった。

  もう俺たちの味方は何もない。みんなやつらの味方なのだ…。よし、こうなったら「自由採鮑だ」という声が高まった。

  大正15(1926)年11月のある日。それは綾里の漁師たちにとって、文字通り「運命の日」であった。

  互助会員148名と、その家族は、午前4時、いっせいに海上に躍り出たのだ。殿村賢治郎の率いる決死の警備隊3隻が湾内を迂回しながら警戒を厳にする。岸辺には自由採鮑を阻止すべく、山村一家に味方する者たちが大勢詰めかけているからだ。

  漁師たちは、清新な感激を新たに、モリを十二分に使いまくる。船と船とが晴れやかに呼び交わす声。久しく忘れていた感情が心よくよみがえってきた…。
 


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