盛岡タイムス Web News 2014年  1月  12日 (日)

       

■  日韓の理解は可能か 社会科の歩みから 「戦後歴史教育史論」 加藤章・元盛岡大学長が刊行


     
  歴史教育について語る加藤氏  
 
歴史教育について語る加藤氏
 

 盛岡大、上越教育大元学長の盛岡市の加藤章氏が、東京書籍から「戦後歴史教育史論」を刊行した。学科としての社会科の歩みを総括しながら、日韓の歴史教育を対照し、両国の相互理解の可能性を探る。昨年末の安倍総理の靖国参拝を契機に、東アジアの歴史認識が大きな論点になっている。加藤氏は日本側の保守的な動きと、韓国側のナショナリズムの双方に課題を見いだし、両国の言論に理性的な対話を促す。加藤氏に話を聞いた。

  ―新しい著書の狙いは。

  加藤 戦後の民主主義社会に見合った歴史教育とは、皇国史観をどう切り替えるか、日本人の意識に直接関わるような教育は何か、歴史教育を中心に考えてきた。1947年に社会科ができたとき、歴史教育がどのように取り込まれたのか。米国の社会科の理論から言えば歴史、地理、公民を一本化した社会科として日本もスタートしたはずなのに、当時の社会科学習指導要領には「国史」が残っていた。

  それはなぜかと、長崎大の時代に疑問を持った。社会科は取り込むが、国史は残したいという意識が文部省側にも、進歩的な研究者にも、右にも左にもあった。社会科一本化の動きに対して、文部省内部から、局長クラスが国史は残すべきと言って残したのはおかしな話だった。ただ心情は分かる。その交錯した心情が、歴史教育にどう影響したかを追求した。

  ―80年代の教科書問題や、90年代末からの「新しい歴史教科書」の運動で、日韓中の歴史認識論争が教育の場に持ち込まれた。靖国参拝問題を含めてどのように考えるか。

  加藤 教科書は戦後、マルクス主義が強くなり、社会経済史中心で、文化思想的な面が足りなかった。それに対する保守反動的な発想が、「新しい歴史教科書」の問題になった。中心になった東大教授の藤岡信勝氏は、初め左派だった。私が司会していた学会で、藤岡氏に「転向した」という批判が出た。藤岡氏は湾岸戦争で日本が平和のための基金を出したのに無視され、金は出して人を出さないと言われ、世界にアピールするため日本人の意識を転換させる必要があるから変わったと主張していた。

  藤岡氏に悪気はなかったが、利用されたのではないか。「新しい歴史教科書」に対して国家主義につながるという反対が高まった。まだ決着は付いていない。検定で右寄りの国家主義をチェックされると、素直に変えてパスした。あの戦略はうまかった。ただ採用部数は極めて少なく、韓国の研究者は、右翼的な教科書は日本の市民がよく見て、採用しなかったと評価していた。

  安倍総理の靖国問題の信念には、右翼や国家主義の意識は全くなく、「誠意を持って対応する」などというのは、日本人中心主義だ。それが相手にどんな影響を与えるか、考えているかもしれないが言わないので、周囲は苦労しているのではないか。

  ―韓国の歴史教育も国家主義的と言われる。中国を含めて東アジア共通の歴史認識は構築できるか。

  加藤 私たちも韓国自身ナショナリズムの典型ではないかと言っている。すると植民地化された国の歴史と、日本のような植民地経験のない国の歴史では違って当然だと言われる。戦後は解放されたが、二度と植民地にならないためには、ナショナリズムを植え付けねばという国の方針がある。ただ、それもある時期までで21世紀になると、そういう理由付けは薄弱になってくる。

  日本の植民地政策の中で、彼らの能力を発揮させる状況については、本土ほどの研究、勉強の機会がなかったと思う。解放されて条件が整うと、彼らの経済力、工業力は大変な能力を持っていた。あれほど伸びる力を持っていたのに、誤った植民地教育が彼らの近代化を遅らせたのではないか。今の日韓交流は対等だ。そういう動きを上の方は分かってほしい。東アジア共通の歴史認識は、倭寇の時代にさかのぼると共同体的な芽があったことを考えれば、100%ではないが可能と思う。


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