盛岡タイムス Web News 2014年  1月  22日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉206 三浦勲夫 ペット


 ペットとは「愛玩動物」だが、動物愛護論者は「コンパニオン・アニマル」とか「アニマル・コンパニオン」の言い方を好むと英和辞典などにある。「コンパニオン」とは「伴侶、仲間」であり、飼育動物に対する非蔑視的な表現となる。飼い主にすれば「家族の一員」と思う向きも多い。ならば「ファミリー・アニマル」とも呼べそうだ。

  コンパニオンと呼ぶ理由は、互いに意思を疎通し、励まし合い、助け合うからだろう。犬ならば、番犬、猟犬、救助、犯罪捜査、芸、盲導、聴導などの任務を果たす。一方、「ペット」には「他人におもね、いいなりになる人」の悪いイメージもあり、その意味では英語で「プードル」、日本語では「ポチ」も代名詞的に使われる。

  しかし今でも「ペット」と呼ばれることが多いのは事実である。「ペット・ペット・ズー」は動物に触れる「ナデナデ動物園」である。オックスフォード英語辞典の「ペット」の大意は「家の中で飼い従順にしつけた動物。たとえばペット・ラムやペット・キッド」とある。ラムは小ヒツジ、キッドは子ヤギで、それがペットと聞いてちょっと驚く。ラムには「従順、温和」のイメージがある。1819年の英詩「怠惰のオード」(ジョン・キーツ)には「感傷的な笑劇でお褒めを求めるペット・ラムにはならぬ」の軽蔑的用法もある。詩人が従来、王侯貴族などのパトロンに後援されたことを批判する一行である。

  フランス・ブルボン王朝のマリー・アントワネット王妃(ルイ16世の王妃)はベルサイユ離宮に農場を作り、農民に農作業をさせ、羊、豚、牛、鶏などを飼った。ルソーの「自然に帰れ」の思想に共鳴したようだ。「貧乏人はパンが食べられなければケーキを食べればいい」と語ったとされるが、これは彼女に反感を抱く者たちの作り話のようだ。フランス革命中、ギロチン台で処刑された(1793年)。

  アメリカでは19世紀のマサチューセッツ州でメアリ・ソーヤーという女の子が、自分の子羊を連れて小学校に行き、友達を大喜びさせた。1830年、これを歌にしたのが「メリーさんの羊」である。今ではあまり子羊をペットにするという話は(少なくとも日本では)聞かない。しかし200年前や300年前の欧米では案外一般的だったようだ。

  今の日本ではウサギもペットとして飼われる。この話を聞いた70代の男性が驚いて「えっ、ウサギがペットですか?昔は肉を食べるために飼いましたよ」と言った。若い人たちはそれを聞いて「えっ!ほんと?」と驚いた。四足動物の肉を食べることが禁じられた時代、ウサギは例外で「鳥」扱いされ「一羽」「二羽」と数えられた。この話は「ヤマクジラ」と称してイノシシを食べた山間の日本人の詭弁(きべん)を思い出させる。

  捕鯨国と反捕鯨国の対立が始まったのは1966年ごろである。その年「公海上の漁業および資源保護条約」が国際捕鯨委員会で締結された。日本は調査捕鯨を行っている。希少動物と人間の共存関係を維持することは困難な問題を伴う。ニホンジカも増え生息域も北上している。愛らしい動物だが、植物の芽を食べるので駆除される。古いアメリカ映画「子鹿物語」があった。少年と子鹿の純真な共同生活も畑の作物の芽を子鹿が食べて離別させられる。ペット飼育にも野生動物にも人間の配慮が求められる。
   (岩手大学名誉教授) 


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