盛岡タイムス Web News 2014年  1月  29日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉207 三浦勲夫 大寒


 寒いと体も委縮する。考えることも委縮して消極的になりやすい。何かをやるにしても大儀になる。しかし、そうばかりも言っていられない。北国に住む人間としてこれまでに何度も冬を越してきた。昔の子どもにとって冬は寒いのが当たり前で、南の地方の雪のない冬と自分たちの土地の冬とを比較することなど不可能だった。寒いなりに楽しみを見つけるのが子どもの習性だった。

  だんだん成長すると、ほかの土地と比べたり、土地の夏と冬とを比べたりして、冬に対する嫌悪感が増したのは事実だ。しもやけ、ひび割れ、かじかむ指。感覚的にも冬の痛さ、不愉快さを個人的に感じだした。しかしその後、節目には受験勉強を行い、入試を受け、春に入学した。冬の試練が春の喜びを呼ぶことを体験して、冬は快感とか不快感の対象ではなくなった。意志を固めて障壁を突破すべき跳躍台となった。

  四季が定期的に巡る日本にいる限り、冬は必ず巡ってくる。自分なりに今は心に余裕を持って、これまでの毎年の冬を懐かしく思い出す。快感は快感として、不快感は不快感として。「つらい」という感覚ではなくて「酸いも甘いも」的、総合的な判断として。その点では冬は実に含蓄に富む。楽には暮らせない季節だが、以後の芽生え、成長、収穫の準備期としての含蓄がある。

  ここまで原稿を書いてやめた。一夜明けて、原稿の後半を考えながら、いてつく朝の道に犬と外出した。朝の散歩からわれわれの一日が始まる。小、中学生たちは歩いて学校に向かう。小学二年生の女の子は、きょうはごみを出しに行く父親の左手にうれしそうにすがってわれわれとすれ違う。顔なじみの犬連れ夫婦に「おはようございます」と父娘であいさつをしてくれた。もちろんこちらも「おはようございます」。

  これだ、これだ。寒くても、温かい。寒い時こそ、あいさつが温かい。「ワンちゃんのお散歩、ご苦労さん。転ばないように気を付けて」と声を掛けてくれる老婦人はいつも自宅前の道をほとんど毎朝きれいに雪かきしている。今冬は今のところ盛岡の雪は少ないが寒さは厳しい。雪は地域的に集中的に降り積もり、県内の豪雪地帯は例年の2倍近いという。「屋根の雪下ろしは2人で行い、命綱をつけましょう」とテレビ・ニュースが注意を呼び掛ける。くれぐれも注意して雪下ろしをしてくださいよ、と願わずにいられない。

  冬は白い雪と長い夜で、色彩ならば白と黒の風景である。しかし、冬至を過ぎると寒中でも日照時間が少しずつ長くなる。黒い部分が薄墨色に、そして淡い色合いを帯びてくる。

  今年も春が来る。小学校に上がる日を今か今かと待つ子どもたちもいよう。幼稚園もない昔の田舎でしばらく過ごした身は、そのような子の一人だった。大きな子たちのように雪道を一人学校まで歩こうとした日があった。寒くて途中から戻ったが、大きな冒険だった。

  その年に小学校令が改正され、国民学校は小学校となった。入学の日には母がついてきた。その日の教室の様子をよく語った。登校路の一人歩きも、あの日の教室の様子もよく覚えている。50年後に懐かしい山間の学校を訪れた。風景も建物も一変して児童たちが初夏の運動会に興じていた。
   (岩手大学名誉教授)


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