盛岡タイムス Web News 2014年  2月  12日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉209 三浦勲夫 メイド・イン・ジャパン


 モノづくり大国日本である。メイド・イン・ジャパンの呼称は価値と信用を得ている。しかし国内で生産すれば人件費が高くなる。そこで人件費が安いアジアの国々に拠点を移して生産し、日本に逆輸入する。欧米にも拠点を移して、輸出価格より安く生産販売する。あるいは円安傾向が輸出に拍車を掛けている。

  海外で生産する日本製品はメイド・イン・ジャパンではないが、日本の素材や部品を使用するのでジャパニーズ・メイド・アブロードとでもいえる。海外生産日本製品である。これに対して、米国で生産する新型ジェット旅客機ボーイング787の場合、翼、接合部という重要部分を含む35%の部分は日本製である。ある本によれば「メイド・ウィズ・ジャパン」(日本とともに作った)と呼べるとある。世界的に見ても日本が海外に輸出する部品や素材は米国のそれをはるかに上回る。

  一方、途上国で作る製品が日本にも大量に出回っている。買って使用すると、どこか弱かったり欠陥があったりする。自分が今はいている雪用ブーツもその例だが、左のかかと内部の曲線が極端に内側に曲がっていて、履きにくい。買ったときに右足だけを試したからである。そこで今年も買ったが、両足を試し、かつ日本製を買った。

  日本製品の品質が優れていることは通り相場になった。しかし自分の世代では「メイド・イン・ジャパン」と聞けばイメージが悪かった時代を思い出す。1945年の終戦とともに日本は良い素材を買うこともできず、よい工場もなく、出来上がる製品は粗悪と言ってよかった。リサイクル物資は古物市場に出回り、繊維製品も「ガラ紡」と呼ばれる布地や衣類が安価に利用された。ガラ紡とは、古い布地(おもに綿製品)を解きほぐし、ガラガラ音を出す紡績機(ガラ紡績機)で作った糸および布地である。機械の発明者は日本人で臥雲辰致といい、発明は1876年のことである。戦後、出回った製品は糸が太く、布地が厚く、ごわごわしていた。

  少々脱線するが、メイド・イン・ジャパンという文句を最初に自分が聞いたのは当時の流行歌だった。「生まれて初めてアメリカ見物」「着いた所はロスアンゼルス」に始まり、土産を買って家に帰り包みを開けると「メイド・イン・ジャパン」と書いてあり、がっかりしたという内容だった。アメリカに行ける身分がうらやましかったが、アメリカ製品崇拝熱がまん延していた。日本製品は「安かろう、悪かろう」の目で見られた。

  戦後の日本経済が向上したのは朝鮮戦争(1950―53、昭和25―28年)勃発の影響を受けて、日本の金属産業がいわゆる「カネヘン景気」で大いに潤ったことによる。国民生活にも少しずつゆとりが出てきた。当時、自分は小学生だったが、以後は、国連加入、経済成長、バブル、そしてデフレという流れの中で今までを過ごしてきた。

  話は違うが、スマートフォンに対して古いタイプの日本製携帯電話を「ガラケー」と言うのは「ガラパゴス島」に由来する。南米エクアドルの太平洋上に浮かぶこの島には、進化の歴史から見て珍しい独自の古い動物が生息する。今回この文を書いて「ガラケー」と「ガラ紡」がどう違うのかを知ることができた。
   (岩手大学名誉教授)


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