盛岡タイムス Web News 2014年  2月  15日 (土)

       

■ 24年前の原稿見つかる 女優・故長岡輝子さん直筆 渡仏から振り返った思い 盛岡てがみ館へ寄贈 日本教育会県支部の1990年会報「巻頭言」

     
  長岡さん直筆の原稿  
  長岡さん直筆の原稿
 

 盛岡市出身の女優、故長岡輝子さん(1908〜2010)直筆の原稿が見つかった。日本教育会県支部(向田實雄支部長)の元役員が90(平成2)年の同支部会報に掲載された長岡さんの寄稿を保管。原稿を託された同支部は貴重な資料として保管してもらうため、14日に盛岡てがみ館(佐藤恭孝館長)へ寄贈した。手書きの文字や文章からは、明治から平成を生きた長岡さんの人柄や遺徳がにじみ出ている。

  寄稿は長岡さんが82歳の時に執筆した、90年3月1日発行の同支部会報第35号の巻頭言「壁に囲まれている日本」。200字詰め原稿用紙(B5判)5枚分。1928(昭和3)年に渡仏し、パリでの生活を通じた海外の日本観や世界情勢について、62年を経て振り返っている。当時会報編集員だった元城南小校長の石川智康さんが保管していたものを、1月に同支部へ託した。

  会報は支部設立の82年12月から年5回発行され、現在155号に達した。巻頭言は県内外の教育関係者のほか彫刻家の舟越保武や画家の深沢紅子、衆院議員時代の工藤巌元知事らも名を連ねた。長岡さんの寄稿が載った会報は2部しか現存していないという。

  第1次世界大戦、ロシア革命、日本では関東大震災の起きて間もなくの時代。米国が建てた国際女子学生会館初の日本人として日本の文化を発信した。

  「(中略)私は必死になって東京には地下鉄もできたと言っても関東大震災の後だったせいか、日本の家は紙と竹でできてる地震国」などとつづられ、日本や日本人が世界でどう見られていたかを知ることができる。

  「(中略)私の部屋には印度、中国、東南アジアの友人達が集まっては自国の独立について話すのを私は見て驚いていた。彼等は日本人は欧州の真似ばかりしてアジア人を馬鹿にしてると非難された」と、20歳だった長岡さんが知らなかった民族の苦悩を述懐。

  そして「偏った国家主義や国粋主義に陥らず人間として自由に平等に愛し合って生きていける社会を作るためならば私達はもっともっと生活を質素にすべきではないだろうか」と締めくくっている。

  同館には長岡さんの封書、はがきなど6通が所蔵されている。最も古くて54年から89(昭和64)年1月1日付の封書がある。今回寄贈された原稿が最も新しい長岡さんの直筆文章になる。

  同館主催で長岡さんの書簡を含めた企画展「命かがやく女性のてがみ」が開かれた2010年10月13日から5日後の18日、長岡さんは102歳の生涯を閉じた。会期中の12月28日に同じく書簡が展示されていた、映画「馬」(1941年)で本県とゆかりのある女優高峰秀子さんも亡くなっている。

  佐藤館長は「長岡さんは本県出身の女優であり、朗読家としても有名。多くの著名人の中でも幅広い活動をされ、貴重な存在だった」と話し、直筆文書の価値を評価している。
  向田支部長は「今のようにワープロではなく手書きの文章で、長岡さんの豊かな人間性がにじみ出ている」と感想を語る。

  三浦壮六支部事務局長は「朝ドラ『おしん』が流行したのが今から30年前。大奥様役の長岡さんの演技を今も鮮やかに思い出す。明治から平成まで生きた生涯は『おしん』そのものだったのでは」と思いをはせる。

  寄贈された原稿に修復などの必要はないが、一般への公開などは今後の企画展における内容の検討次第になる見込み。

     
   盛岡てがみ館の佐藤館長に直筆原稿を寄贈する向田支部長、三浦事務局長(左から)  
   盛岡てがみ館の佐藤館長に直筆原稿を寄贈する向田支部長、三浦事務局長(左から)  






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