盛岡タイムス Web News 2014年  2月  26日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉373 伊藤幸子 「千両花嫁」

 

  陶工もかたらずわれも語らざりろくろに壺はたちあがりゆく
                                  玉井清弘
                         「角川現代短歌集成」より

 「本物はちがうのよ。品格っていうか、風韻っていうのか。いくつも本物を見てたらわかるんやけどね」道具のことはいくら口で説明してもわからない。本物を手にとって見つめ、夢に見るほどに心に染みこませて憶えるしかない…。

  ここは三条大橋のたもとに店開きしたばかりの「御道具 とびきり屋」の店内。真之介、ゆずの新婚世帯の手代たちは、まだ道具のことをほとんど知らない。今しも、ゆずのてのひらにあるのは長次郎の赤楽茶碗(わん)。長次郎といえば、そのむかし千利休に頼まれて茶碗を焼いた陶工で、本物なら何百、何千両も出す客もいる。ゆずは「いちおう長次郎―」と笑う。

  これは2月13日に亡くなられた直木賞作家、山本兼一さんの「千両花嫁」の一場面である。氏の訃報を知ったときは本当に驚いた。肺腺がんのため、57歳の働き盛りで、亡くなる前日まで仕事を続けられたという。読書家の友人に薦められて「白鷹伝」を読んだのは7年も前であったか。「火天の城」も「利休にたずねよ」も原作、映画とも見ている。

  ことにも「利休にたずねよ」は、山本氏が初めて利休の水指を見た時の印象から端を発しているといわれる。「天下に有名な茶聖とは、実は内なる情熱にあふれた人間」との氏の洞察はみごとに画面に反映し、市川海老蔵利休の名作となった。

  この映画に、陶工長次郎役で柄本明さんが出ている。関白殿下の聚楽第建築のために大勢の瓦(かわら)師が集められた。その長次郎の工房を訪ねた宗易(利休)が茶碗を焼いてほしいと頼む。「わしは瓦師や。ろくろを使わへん。まんまるの茶碗はよう焼かんけど、それでええのか」と言う無骨な陶工の風貌が柄本さんにぴったりだ。

  できたぞ、できたぞ。「世辞はにがてでしてな。ひとことで言えば、この茶碗はあざとい。こしらえた人間の心のゆがみがそのまま出てしまった」と宗易。長次郎、怒るまいことか。

  彼はひたすら土を捏(つく)ねた。やがて「これはいい。媚(こ)びていなくてじつに軽い」と宗易に認められた。「茶が楽に飲めるように、苦しい重さはあの世に送りました」と応える長次郎。真に奥義を理解し合った者同士のまなざしだ。

  今、ゆずは長次郎茶碗につくづくと見入る。本物を知っていればこそ、「そうだったらいいな」という夢を見る。一読者の私にも、常にそんな夢を見せてくれた山本作品を、もっともっと読みたかった。
    (八幡平市、歌人)



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