盛岡タイムス Web News 2014年  3月  1日 (土)

       

■ 〈おらがまちかど〉3 盛岡市 青山三丁目町内 戦後引き揚げから第一歩 創立50年の青山むつみ会 逆境越えた地域の歴史 

 

     
   青山三丁目老人クラブ青山むつみ会では50周年記念誌「あゆみ」の発刊準備も進めている。事務局を務める安部昭夫副会長(左)と安藝会長  
   青山三丁目老人クラブ青山むつみ会では50周年記念誌「あゆみ」の発刊準備も進めている。事務局を務める安部昭夫副会長(左)と安藝会長
 

 青山三丁目老人クラブ青山むつみ会(安藝一会長)は1月に創立50周年を迎えた。逆境から立ち上がった地域の歴史をかみしめながら、若い世代の活躍とまちの発展を願う。

  戦後間もない1947(昭和22)年。元陸軍戦車第22連隊兵舎を改造した住宅に、樺太(サハリン)から引き揚げ者48世帯、240人が入居したのが「青山三丁目」誕生の第一歩。地域は収容住宅の名前にちなみ「岩鷲寮部落」と呼ばれていた。

  当時は「ニコヨン労働(1日の労働賃金が240円)」とやゆされた日雇い労働で暮らす引き揚げ者が少なくなかった。高度成長期、市内からの移住者も増え、やっと暮らし向きに余裕ができて発足したのが、青山むつみ会だ。人生の締めくくりを健康で心豊かなものにとの願いが込められていた。

  70年代から80年代にかけては会員に身分証明書を発行。町内の理容店や美容院を料金2割引きで利用できる特典を独自に設けるなど、福祉のまちづくりを先取りした活動にも取り組んでいた。ルーツが異なる者同士、肩を寄せて歩んだまちだからこそ、互助の意識が高かったとも言える。

  現在、会員は86人。引き揚げ経験者は会員の3分の1にも満たなくなったが、支え合いの精神は変わらない。月1度の誕生会、清掃奉仕活動、世代間交流行事など活発に活動。「情報こそ触れ合いの原点」と02年9月から月1度の会報(発行当時は連絡票)発行も始め、1月で137号を数えた。

  安藝会長(83)も樺太で捕虜生活を経験した。自身は引き揚げ後、県警察官として要職も務めたが、身を立てるのに苦労した多くの同胞も見ている。「宗派は問わない。いつでも訪ねて来てほしい」と語る青山寺の工藤正行住職、誕生会のたびに会員の血圧を測り、健康相談にのってくれる森子真理子看護師ら、心ある地元住民に支えられ、今があると感謝する。
(馬場恵)


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