盛岡タイムス Web News 2014年  3月  3日 (月)

       

■  前を向いて首都圏へ しぇあハート村(盛岡市復興支援学生寮)の卒業生 大震災翌年専門学校へ 佐々木芙結花さん


     
   盛岡市の復興支援学生寮を巣立つ佐々木芙結花さん(左)。同じ専門学校生の佐々木栞さん(右)は、目標を共有できるかけがえのない親友だ  
   盛岡市の復興支援学生寮を巣立つ佐々木芙結花さん(左)。同じ専門学校生の佐々木栞さん(右)は、目標を共有できるかけがえのない親友だ
 

 盛岡で学ぶ沿岸被災地の学生を支援しようと、盛岡市が2012年4月に同市本宮に開設した復興支援学生寮(シェアハウス)から、この春、専門学校生ら3人が巣立つ。親元を離れ、新しい仲間と過ごした日々。古里を襲った震災津波の傷は、簡単には癒えないが、前を向いて進む。

  もりおか復興推進しぇあハート村にある復興支援学生寮。卒業生の一人、盛岡医療福祉専門学校介護福祉科2年の佐々木芙結花さん(20)は、4月から神奈川県横浜市の老人保健施設で介護福祉士として勤務する。人見知りで甘えん坊。初めは買い物に行くのも、バスに乗るのも「誰かと一緒でないと嫌だった」。盛岡での2年を経て、都会で独り立ちする決断ができるほど大人になった。

  震災津波の年は大槌高校の2年生。家族は無事だったが、安渡地区にあった自宅は流失。同じ高校の体育館に寝泊まりしながら、学校生活を送った。親が見つからない同級生が、避難所で食事の配膳を手伝っている姿が新聞に載ったことも。「何でこんなときに、そっとしてやれないんだろう」。怒りとやるせなさがこみ上げた。

  その年の7月には祖父の信太郎さんが82歳で亡くなった。共働きの両親に代わり、家で帰りを待っていてくれた信太郎さん。小さい頃は「こっちゃ来い」と膝の上に芙結花さんをのせて、かわいがってくれた。犬の散歩にも一緒に出かけた。

  屈強な漁師だったのに、避難所では動こうとしなかった。後で病に侵されていたことが分かったが、家族も震災後の混乱で気付くのが遅れた。仮設住宅の入居すら決まっていない時期。葬儀は地域の集会所で営まれた。

  将来、自分は何になりたいのか、具体的に考えていたわけではない。だが、優しかった信太郎さんを見送り、おぼろげだが進路が見えた。

  専門学校の仲間で最初に話しかけたのが、宮古市出身の佐々木栞さん(20)だ。同じ沿岸なまり。気を使わずに何でも話せる。すぐに親しくなった。

  盛岡のアパートで暮らす栞さんも、芙結花さんに負けない「おじいちゃんっ子」。祖父の平吉さんは80歳を過ぎて自宅を津波に奪われ、仮設住宅から施設のデイサービスに通う。大好きな平吉さんは「自分が支える」と心に決め、介護の道を選んだ。

「年寄りってかわいい」。「(施設での)実習が一番、勉強になった」と口をそろえる二人。初めは、高齢者と一対一で向き合うと困った。話しかける言葉が見つからない。

  居酒屋でのアルバイト、電話でのセールス―。栞さんはあえて人と話さなければならないアルバイトを選び、会話力を磨く努力をした。
(続きは本紙をご覧ください)


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