盛岡タイムス Web News 2014年  3月  13日 (木)

       

■  〈風の筆〉41 沢村澄子 さよなら、ニャゴ太3


     
   ある時、ニャゴ太のカルテを見て驚いたのである。  
 
さよなら、ニャゴ太。
 

 ある時、ニャゴ太のカルテを見て驚いたのである。

  「あれ?先生!ニャゴ太、オスだったんですか?」

  性別が分からず気になっていて、病院に運び込んですぐに伺ったら「メスじゃないのかな…」という話。適当に「ニャゴ太」なんて名付けて悪かったと、それからずっと悔やんでいた。

  なのにカルテは「オス」。混乱していたら、アシスタントの女性の説明である。

  「オスです。手術の時、私が確認しました。この子、タマタマが異常に小さいんです。最初去勢しているのかと思われたんですが、去勢手術はしていなくて、病気か遺伝のようです」

  衝撃的な報告だったが、一気に疑問が解けた。

  ニャゴ太は不思議な印象のする、不可解なところの多い猫だったのである。大きなけがをしていたせいか、自重心が強く、同時に、人を頼みにしているところが他の野良猫と大きく違っていた。しかし、こびはみじんもなく、どこかにいつも凛とした空気を持っており、それでいて、動きやしぐさは実にエレガンス。鳴き声も「ミャ〜」「ミャ〜」と澄んだ声で、歌のようで、あの声だけ聞くとメスだと思う。ところが、キリっとした無言のまなざしにしばしば、いや、オスかな?と疑われ。いずれ判別できなかった。

  ハーフ。もし猫にもそういうものがあり、生まれつきニャゴ太がそうだったとしたなら、これまでのわたしの多くの疑問符は見事に消えて、合点がいく。

  オスでもなくメスでもない。オスでもありメスでもある。ニャゴ太はそんな得体の知れない彼自身を大いに謳歌(おうか)していているように見えた。こちらの目を覆いたくなるような痛々しいけがをしているにもかかわらず、いつも幸せそうな印象のする、すこぶる陽気な猫。

  ブラシをかけてやると必ず膝に乗りたがったが、乗ればソク寝て20秒後にはわたしの膝が楕円形に温まる。乗るのは床より人肌の方が温かいから、に違いないのだが、わたしには時々、ニャゴ太がわたしを温めてやろうとしているのではないか、などと思われた。

  「愛されたという記憶はいいものだ」そんな詩がどこかにあったような気がする…。ニャゴ太と目が合うたびにそう思って、なのに、その続きが思い出せない。

  愛しているのか愛されているのかわからなかった。オスかメスかもわからなかった。そこに行き来していたものが、愛だったかエゴだったかもわからない。

  呼べば、シッポだけ振って答えた。手を握れば、肉球を開いて握り返してきた。とても野良とは思えず、その目を見ていると、なぜかわたしはいつも、自分がニャゴ太に守られているような気がしてならなかった。 
   (盛岡市、書家)
 


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