盛岡タイムス Web News 2014年  3月  19日 (水)

       

■  〈花林舎流庭造り─よもやま話〉2 野田坂伸也 庭園史上最大の革命


     
   マンサクの花が咲くと、冬もまもなく終わるなといううれしさと、一つの季節が去ってゆく一抹の寂しさを感ずる  
   マンサクの花が咲くと、冬もまもなく終わるなといううれしさと、一つの季節が去ってゆく一抹の寂しさを感ずる  

 ガーデニングが始まったころ、庭師さんや庭園関係の学者は「あんなのは庭ではない。2〜3年たてば消滅する」と言っていましたが、とんでもない、ガーデニングは始まるやいなや燎原(りょうげん)の火のように全国に広がり、今では本屋に行っても日本庭園の本は見当たらず、園芸とガーデニングの本ばかりですし、盛岡の知り合いの庭師さんに聞いても、新しく日本庭園を造る仕事はほとんどなく、以前に造った庭の手入ればかりやっている、という答えが返ってきます。なぜこういうことになったのでしょうか。日本庭園とガーデニングの庭はどこが違うのでしょうか。私は、ガーデニングは長い庭園の歴史の上で最大の革命であった、と考えています。

  単純に「ガーデニングの庭は草花の庭」と思い込んでいる人が多いのですが、それは本質を見ていない言い方です。ガーデニングの庭が従来の庭と根本的に異なるのは「庭の所有者が自分で造り、自分で手入れをする庭である」ということです。(労力やデザインの面で自分ではできないためプロに頼む部分があっても、本質は変わりません)。それに対して従来の庭は「庭師が造り、庭師が手入れする庭」でした。これは「ガーデニングは、庭の所有者の自己発現の場」であり「日本庭園は庭師の自己発現の場である」と言い換えてもいいでしょう。

  私は今から30年以上前の小岩井農場で緑化の仕事をしているころから、庭に対する人々の気持ちが変わってきていることに気付いていました。従来の庭石中心の庭から植物中心の庭になるのではないか、と感じられる兆候がお客さまとの話し合いの際にしばしば見られました。しかし、それが十数年前に起こったガーデニングブームのように怒涛(どとう)の勢いで、これほどまでに圧倒的に拡大するというところまでは想像できませんでした。

  庭は以前は、富も社会的地位も手に入れた人が、自分の体面を保つために立派な邸宅とともに立派な庭も必要である、と考えて造ることが多かったのです。つまり、ステータスシンボルとしての庭です。その価値は芸術作品としてのレベルの高さや、高価な資材をどれだけ使っているかというようなことで判断されました。ガーデニングの庭は生活の楽しみの一部であり、生きがいの一部なのです。よく「家庭は家と庭があって成り立つもの」と造園家は言いますが、それはガーデニングの庭によって初めて実現したと私は思います。


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