盛岡タイムス Web News 2014年  3月  24日 (月)

       

■  〈幸遊記〉167 照井顕 ケニー・菅沼のジャズソング流し


“あれは3年前”という出だしの歌があったけれど、ケニー菅沼が開運橋のジョニーへ現れたのは4年前だった。毎月開いていたジャムセッションや、ボーカルナイトに来ては、独特の軽妙酒脱な歌い方で皆を驚かせたのち、今度は、ある日ギターを持って現れ、「実は流しを始めたんです」と言った。

  流しと言えば昔は演歌と決まっていたが、彼が流しで歌うのは、スタンダード曲なのだから、僕は両手を上げて喜んだ! イタリア・フランス・タイ料理などのレストランからスナックやワイン・ショットバーなど。まずは店主に聴いてもらえれば、たいがいはOK!いつ来て歌ってもいいと言われ、毎月や毎週から、パーティー、結婚披露宴などさまざまに受け入れられてきた。

  でもjazzの店だけはどうしてなのか?どこも聴いてさえもくれず門前払いでしたと寂しそうな彼。本当に歌いたいのはジャズの店だったはず。何せレパートリー曲のほとんどがジャズの曲だったから、「いわばケニーさんはジャズの宣伝マン!なのになぁ」と僕は彼に言って慰めた。「門前払いだけはしないでほしい」と彼は言う。

  ケニー菅沼(菅沼賢)さんは5歳の時、近所のギター弾きのお兄ちゃんからヘッドホンで「レット・イット・ビー」(ザ・ビートルズ)を聞かせてもらい「これは何だろう?」と思ったらしい。中学時代にバンドを組んでロックをやり歌とギターを担当。高校入学7カ月後には中退しバンド活動に専念。17歳の3月には意を決してアメリカ・ロスアンゼルスに渡り、現地のバンドやライブハウスを見聞。帰国後R&Bのバンドで歌ってみたが満足できず、もう一度高校生活を送ろうとNHKの通信講座を受け38歳で卒業。

  33歳の時、大手建築資材製造会社に入社。転勤で4年前盛岡に来た。ある日路上で歌っていたら警察官に「ジョニーへ行ってみたら」と言われ、来て見たらパッと景観?が開けたらしい。

  ジャズは40歳から本格的にレッスンを受け、2年後には大阪で歌い始め現在48歳。今また新たなリズム楽器ボンゴたたきに没頭して歌っているというが、子どもの頃外国人と遊んでいたせいか、日本語の歌にハマッタことはなく、本当にハマッテしまったのはフランク・シナトラの「フライ・ミー・トウ・ザ・ムーン」で踊ったアイススケートの華麗な美しさに感動してからだった。転勤で大阪に戻ると、その報告に来て盛岡を語り歌ってくれた。
  (カフェジャズ開運ジョニー店主)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします