盛岡タイムス Web News 2014年  3月  27日 (木)

       

■  〈風の筆〉43 沢村澄子 「想う」


 3月、東京浅草のギャラリーアビアントで3回目となる「レクイエム展」があった。画廊主の磯貝延子さんは、震災以来ずっと厚い応援を続けてくださっており、「支援」とはおっしゃらず、「震災でできたご縁」と言って、東北の作家たちを紹介する展覧会を続けて企画してくださっている。

  今回、わたしは小品を3点出した。自作の「うみのいろ」という詩を書にし、山村暮鳥の「わたしはたねをにぎってゐた」という詩を鏡文字で銅板に刻んだ。これは摺(す)り師さんに10部摺ってもらっての、銅版書。

  そして、「想」と1字書いて額に入れたのだが、この作品について、ある新聞社から質問の電話があった。

  「あの『想』は具体的にどんな想いなのですか」

  返答に窮してしどろもどろ。結局、何て答えたのだったか…。実は、言葉では説明できないから、書にしているのだと思うのだが。

  震災後、わたしに起こった変化は計り知れず、しかし、それもまた言葉にすることは難しい。ただ、例えばわかりやすい例として、詩のようなもの≠書くようになったこと、などがあげられる。

  以前はどう頑張っても詩が書けず、人の詩を借りて書にしていた。ところが、震災後なぜか、それができなくなり、ポロン、ポロン、と時々、詩だか何だかよくわからないようなもの、がこの口から出てくることがある。今回書いたものは、


  「うみのいろ」

うみはあお/そらもあお/なみはしろ/くももしろ/つきはげっぱく(月白)/すなはすないろ/しろかもめのしろ/ひとはあい

  また、こんなのもある。

「海と女」

光る海の青の中で/一人の女が笑っている/苦しみと怒りで/長く手足を眠らせていたら/ある日ついに/脚と腕が消えた/もう野に出て花を摘むこともできないし/泣きに泣いて膝を抱えようにも/その膝も腕もない/なんでこんな目に!/あらん限りの力で女が叫んだとき/海から波がザブンと女を飲み込んだ/もう だめだ!/波にもまれ/ない手足をバタつかせていた その時/女は/ないはずの手足で/初めて「 」にさわったのだという

 これは最後の「 」に入る言葉もまだ定まらず、未完のまま。読者の皆さんならここに何という言葉を想像されるだろうか、と思い、書き出してみた。

  いつの間にかもう30年以上も書をし、それなのにいまだワケがわからなくなることが多々あり、今回も詩を書いてしまったら、自分のオモイを言葉にしてしまったら、それで気が済んでしまうのだろうか、それを書にすることが難しくて、困った。

  自分の想いに、自分が動けなくなってしまうのだ。
     (盛岡市、書家)



本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします