盛岡タイムス Web News 2014年  5月  12日 (月)

       

■  〈幸遊記〉174 照井顕  板倉克行の密林ダンス


 ジャズワールド紙5月号を開いたら、「ピアニスト・板倉克行氏が(2014年1月10日に)死去」との記事。それを読むまで、彼が亡くなったことを知らずにいた。2月16日、台東区松ケ谷のライブハウス「なってるハウス」で板倉氏をしのぶ会も開かれた様子。

  板倉さんは唯一無二のジャズピアニストであり、特にもフリー系の音を好む人たちにとっては、伝説のサックス奏者・故阿部薫(本名・坂本薫、1949〜78)と並ぶ、いや先輩格のフリーフォームピアノ奏者であった。

  両者ともに天才型。音は、ほとばしる感覚そのもののように研ぎ澄まされていた。阿部は薬物による急性胃穿孔(いせんこう)のため、板倉は1年余り前に転倒して大けがをし、療養中だったが、回復しなかった様子。勝手な推測だが、酒の飲み過ぎによる転倒なのだろうと、思ってしまうほどよく飲んだ。だからこれは、僕への警鐘であるのかも。

  彼が最初“ジョニー”で演奏したのは、1981年5月。翌年6月には僕がプロデュースするジョニーズディスクの7作目の作品として、ピアノソロをジョニーでライブ録音。“洗練された美しいメロディーラインと、不快な音の群が織り成す、モザイク・ジャズ・ピアノの不思議な魅力”と帯書きしたLP「海猫の島」でレコードデビュー。彼38歳の時だった。アップライトピアノ、しかも2本の折れたピアノハンマー音まで巧みに生かして演奏した、「日本ジャズ界のピアノハンマー。または、貝の火の化石」の即興演奏はさすがなものだった。

  さらに2年後の84年。僕の12枚目となる作品「密林ダンス(ハニーサンバ)」という彼のトリオによる、オリジナル曲集アルバムを制作・発表。以降、彼は水を得た魚のごとく、世界を股に活躍した。盛岡には、2012年5月のビッグストリートジャズライブ出演が最後。

  板倉克行、1943年8月1日旧満州国大連に生まれ、幼少から教会でピアノを習い、20歳でプロ入り。当時は、グレン・グールド、オスカー・ピーターソン、ビル・エヴァンス、セシル・テイラーらに魅かれたようだが、ある時から自分で出したスリリングな音に、自ら影響を受けるようになり、次から次へと瞬時にメロディーが頭に浮かんでくる、凄腕のまさに天才的な即興ピアニストであった。
(カフェジャズ開運橋ジョニー店主)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします