盛岡タイムス Web News 2014年  5月  14日 (水)

       

■  〈花林舎流庭造り〉6 野田坂伸也 確固たるデザイン思想の施主


     
  満開のマグノリア。近年、岩手でもさまざまのマグノリアが目に付く  
  満開のマグノリア。近年、岩手でもさまざまのマグノリアが目に付く
 

 前回に続き昔の話をもう一つ書きます。

  20年くらい前のことです。秋田県北の造園業者のAさんから「ちょっと相談に乗ってもらいたいことがある。こちらに来てもらえないだろうか」という電話がかかってきました。少し遠方でしたが、知らない町を見るのもいいなあと思って行ってみることにしました。

 Aさんの話はこんなことでした。

  「この町で一番はやっている医者が家を新築した(2億円の豪邸。敷地も広い)。その医者とは昔なじみなので、俺に庭を造ってくれと依頼された。彼は庭に関心が深く、この町のあちこちの庭を見て歩いたらしい。しかし、どこも仕立て物の黒松と成金趣味の庭石を組み合わせた似たり寄ったりの庭ばかりで、うんざりしてしまったというのだ。そこで庭の本を買い込んでパラパラ見ているうちに、これがいい、と思う庭が見つかった。手前は芝生で、その向こうの築山にはヤマモミジがいかにも自然の林のように植えられている。芝生と山の間には水のない枯れ流れがある。それだけの質素な庭だ。俺は、こんなのは庭ではない、庭は松と石で造るのだ、と彼に教えてやったのだが、彼はこの庭がいいと言い張るので、先週のゴールデンウイークに外国に旅行に出掛けた間に、石を据えて松の木を5〜6本植えてやったのだ。これで庭とはどんなものか分かるだろうと思ってな。ところが、奴はそれを見てカンカンに怒って、石と松をすぐに撤去しろ、もうお前には庭造りを頼まない、と言うのだ。俺の会社にとっては何年かに一度の大きな仕事だから、どうしても取りたいんだ。あんたからうまくとりなしてもらえないかなあ」

 いくら子どものころからの知り合いだといってもAさんがやったことは常軌を逸しています。個人の庭園ですから施主が造りたいという庭を造るのが(他に迷惑がかからない限り)原則です。3人で話し合い、施主が気に入ったという庭の写真も見せてもらいました。石と松の庭とは正反対の、まったくシンプルで飾り気のない庭でした。ここまで単純化するというのは確固としたデザイン思想を持った人でないとできません。私もこの庭を気に入ったのですが、ここまでシンプルにする勇気はありませんでした。このお医者さんはなかなかの識見を持った人に違いないと感じました。

  結局、仕事はAさんの会社が受けて、私がAさんの代わりに現場を仕切り施主が希望するスタイルの庭を造る、ということになりました。まだ体力もありましたので毎日通いで作業をしたのですが、夕方帰る途中の空の色が夕焼けのだいだい色から次第に薄墨色に暮れていくのが、なぜかとても寂しくて、しんみりした気持ちになって帰宅するのが常でした。

  Aさんは「庭には山の木なぞは植えるものではない」とも言ったのですが、確かに以前の庭はマツ、イチイ、サワラ、サツキ、ツツジなどの仕立て物だけが植えられていました。これは、「庭は芸術作品であり、純粋な自然ではない」という主張の表現だったのでしょう。それにしても庭師さんの、このような強固な信念はどのようにして養成されたのでしょう。



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