盛岡タイムス Web News 2014年  6月  1日 (日)

       

■ 〈体感思観〉「私の記者人生28年」編集局 荒川聡

 私の新聞記者生活は28年。入社した当時の取材はノート、フィルム式のカメラ、原稿用紙、連絡は公衆電話で行い、重要なニュースは、締め切りに間に合わせるために電話口で原稿を読み上げ書き留めてもらう「電話送稿」もあった。「原稿を書くために必要なことは、いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのように、これを心掛けていれば、聞くべきことは分かるはず」。つまりは5W1H、これだけが先輩たちから教えられたことだった。

  取材の現場では新人もベテランもない、どのように取材し原稿を書くか個々の記者が考えていくしかない。取材する前の準備として、最低限、聞かなければならない項目をノートに書き留めておき、それに沿って要点をメモしていた。経験を重ねる中で、次第に分かるようになっていった。

  本紙の記事のメーンは昔から盛岡市政。市政担当以外の記者は、割り振られた担当分野で、まちだねを探すことが求められていた。当時、私が担当していたのは経済部門、盛岡商工会議所、商店街、JR、農協といったところが主体だったが、一定量の記事出稿を求められる中で、話題を探すことは楽ではなかった。

  盛岡駅、JR広報、新田町、夕顔瀬町、材木町、上田、大通、菜園、中央通、紺屋町、中ノ橋、肴町、八幡町、仙北町、盛岡商工会議所など、当日の取材をしながら毎日歩き、話題になりそうな張り紙を見てはメモしていた。そうした中で、評判の団子店や豆腐店などを紹介していたことを思い出す。

  ある日、どうしても話題が見つからず、空を見上げ商店街を見渡した時、土蔵が多いことに気付いた。どのくらい古い商家があるのだろうと考え、土蔵のある店をリストアップし、それぞれの商家に伝わる店の歴史の聞き書きを始めた。この取材が、盛岡の歴史の奥深さを知った最初の体験だった。

  30代の終わりころから、奥行きの深い取材をしたいと思うようになった。一応の取材経験はあり、一般的な知識はあるが、連載を書くには知識の引き出しが少なすぎるように思った。先人から学ぶ第一歩は書物と考え、時間を見つけては古書店を巡り、役立ちそうな資料を入手、取材先で古文書を見せられることがあれば撮影させてもらい、後の企画のために備えた。

  史料だけではおぼつかないと考えていた時、紫波町に平泉関連史跡連携協議会が2007年に発足した。その2年前の05年の新年号で掲載した紫波町赤沢の源義経伝説の特集記事を参考にしていただいた。義経伝説のほか、紫波町内に豊富にある平泉関連史跡を連載し、顕彰活動のたたき台にしてもらいたいという思いから取材を開始した。

  連携協議会の主要なメンバーと一緒になって、可能な限り町内にある史料を集め、伝説や言い伝えの聞き取り、発掘調査により判明した結果を含め取材。難しい面も多かったが、自分にとっては、新しい取材方法が見つかった喜びの方が大きかった。

  最近になって、ようやく記者としての基本が分かったような気がする。取材の方法を教えてくれたのは、多様な話を聞かせてくれた多くの方々、自分にとっては皆ありがたい教師、心から感謝している。ありがとうございました。


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