盛岡タイムス Web News 2014年  6月  2日 (月)

       

■  〈幸遊記〉177 佐々木正男のザ・ガードマン 照井顕


 高校時代の同級生・佐々木正男君が岩手医大で目の手術をし退院したと、ひょっこり開運橋のジョニーへ報告に来てくれた。同級生とは不思議なもので、すぐあの頃の昔話に戻れるのだ。

  あれは高田高校定時制を卒業して2年が過ぎた1969(昭和44)年の春の事。当時のテレビドラマ「ザ・ガードマン」のモデルとなった会社「日本警備保障」に就職していた彼が、警察官のようないでたち姿で同僚と二人、突然TVのニュース番組に登場したのにはビックリしたものだった。紹介者は「ピストルの乱射にもひるまず追いかけ、犯人逮捕のきっかけをつくった勇敢な警備員」と言うような放送だったように記憶する。その犯人とは、当時、日本中を震撼させていた、連続殺人の凶悪犯。横須賀の米軍基地から盗んだ拳銃を使い、四つの都市で起こした事件。

  正男君に聞けば、当時の警備会社は、現在の「セコム」の前身。機械警備のモデルケースが始まったばかり。

  渋谷・一ツ橋のビジネススクールからの通報により、担当者が駆けつけ、賊ともみ合いになっていたところへ、近くにいた正男君が応援にかけつけ門前に着いた時、警備員や警官が着いたと思って手をゆるめた隙に塀を飛び越え逃げ出した。とっさに彼が追いかけたら、銃を撃って来たので、電柱に隠れながら跡を追ったのだったらしい。その犯人が捕まったのは、翌朝の靖国神社境内。警官の職務質問によるものだった。

  正男君たちは国際警備連盟から表彰され、警視総監賞をもらい、会社はこの事件後、一気に機械化が進み、彼らは一階級特進だったと言う。しかし、彼は間もなく社を退き結婚し、子どもが生れたのを期に郷里・陸前高田市へ帰って来たのだった。

  彼の奥さんは、僕らと同年の生まれだが、准看護学校を経て定時制2年生として編入してきた1学年後輩の生徒だった。そういえば彼女は、僕が高校4年生で車の転落事故で1カ月入院した時の、県立高田病院の看護婦さん。入院中にこれ読んで!と貸してくれた本は「女の一生」だったな、とタイトルだけが思い出される。

  正男君は今、ダンプカーに乗って陸前高田の復興に一役かいながら、心を癒やす歌を歌い、カラオケ大会にまで参加している。
(カフェジャズ開運橋ジョニー店主)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします