盛岡タイムス Web News 2014年  6月  5日 (木)

       

■  〈風の筆〉53 沢村澄子 「苦手なボールペン」


 先週、自分の展覧会の案内はがきにボールペンで宛名を書くと少し惨めだと書いた。それで、その「惨め」にまつわる説明、というより、言い訳を今週は。

  要は、わたしはボールペンで字を書くことができないのである。何とか書いても「それで書家なの?」と言われるような字になる。

  なぜそうなったかという言い訳をさらに続けると、ボールペンには弾性というものがない。弾性のある筆で文字を書くことが日常、かつ、それが長く続くうち、ついに、わたしは弾性のないボールペンで文字が書けなくなってしまったのだ。

  筆の毛に圧力をかけると、それが跳ね返ってくる力で筆は進み、線が生み出されてゆく。これが弾性の仕事。

  学校で教わる、起筆、送筆、収筆というのは、およそ次のようなことだ。

  まず起筆で筆の毛の弾力をためる。それが伸びて線となるのが送筆部分。そして、毛が開いたままでは次の点画を書き始められないので、筆を閉じる作業として収筆がある。ハネやハライというのは、開いた筆を閉じるため必要なのだ。

  起筆、送筆、収筆がきちんとできれば、筆は開閉を繰り返しながら、ほとんど自動的に線や文字を繰り出してゆく。人間は筆を持って支えてやり、起筆でポンと圧力を加えるだけでよく、後は筆の仕事。下手な人ほど腕力で書き、上手(うま)い人は筆力で書く、と言われるのはおおよそ本当だろう。1本線を引くたび硯(すずり)で毛先を整える人は、収筆の作業ができていないから、そうしたくなるのだ。そうしなければ次に行けないから。

  ところが、ボールペンはポンと押しても「何のこと?」って顔でピクリとも動かない。ボールペンから線や文字が生じてくるということはあり得なくて、意志を持って線を引くしかなく、それができない。

  できないと困るに違いないのに、できないから困った。おそらく横で見ていれば、おかしいであろう、ボールペンを細かくツンツン突きながら、自分の方があっちへこっちへひっくり返りそうになりながら字を書いている姿が、わたし。

  今、日本で、理想的な文字の姿、美しいとされる文字の形、お習字の手本になっているものというのは、筆を右手で持ち、縦書き、で生まれてきたものだといわれている。そういう状況で生まれた形、だったはずなのだが、現代では、筆記用具が何であれ、横書きであれ、同じくそれを模範として疑わない。ボールペンではすでに、ハネ、ハライも必要ないのではないかとわたしは思うのだけれども。

  文字に関するあれこれを書き出すと、また話が終わらなくなるので、わたしが惨めだという話に戻ると、苦手だ、書けない、などと思うと本当に書けなくなる。ことに大事なことが。筆であれ、ペンであれ、実は文字なんて書いてはなくて、文字を借りて何かを書いているのだけれど、それがコンプレックスに阻まれて書けない、というのは、実に惨めだ。というのが、わたしの惨めな話。
(盛岡市、書家)


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